~ 妹 ~
私には10歳以前の記憶が無い。
私の幼少の記憶は、忽然と10歳の時から、
妹の耳が不自由になったときから始まる。
「藤原ノリカさんが30歳を向えましたねぇ~」
「アンちゃんももうじきだね」
「私はまだ何年も先ですよぉ~」
「嘘~そうだっけぇ~」
私がブリなので妹は「サワラ」とでもしておこう。
幼少の時、とても簡単な誰もがかかる「伝染病」がもとで
聴覚を失った。
私が「セラピスト」の仕事をしているのはこの子のおかげでもある。
母親も聴覚障害者であった為、父の不在中に起きた妹の異変に
気付くのが遅れてしまう。母はこの後、随分と自分を責めた。
しかし、妹は一度も障害を人のせいにしなかった。
聴覚を失ったサワに付き添い通った病院に、言語に力を入れた
治療を行なってくれるドクターがいた。
今、思えば、妹の行う辛く切なく悲しい繰り返しの訓練は、
幼い私に眩しく映った。妹が羨ましくさえ思えたモノだ。
ここで妹は多くの言葉を理解し知能障害を起こす事も無く、
手話とドクワをマスターし健常者の中で無事に育っていった。
幼少の頃。
「アンちゃん・・・・私の耳は治るの・・・・」
私は馬鹿だった。
「アンちゃんが治してやる! だから、辛いときや悲しいときは全部
言うんだぞ! 俺がずっとそばにいるから 」
「絶対・・・約束してくれる?・・・・そばにいてくれる・・・」
あの頃の約束を妹は覚えているだろうか。
春の終わる頃、妹は無事に「婚約」をすませた。
相手の男性は「サワ」の事を良く理解した人である。
結婚後は山梨で暮らす事になるらしい。
私の住まいとは少々距離がある。
私は肩の似が降りる。
・・・・
「約束守れませんでしたね。・・・」
「え?」
「幸せになるのですよ。」
「人の事言えないでしょ」
「素直じゃ無いですねぇ」
「アンちゃんこそ、早く幸せ見つけなさいって、言ってるのよ。
私には判らないけど、話し方、アホ丁寧なんだって?」
「う・・・・・」
「山梨行っちゃうんだからね。誰も、アンちゃんの事
見て上げられないのよ。」
「へ・・・上げるって・・あんた・・」(この沈黙の手話は難しい)
「……」
「まいりましたね。・・・・私も山梨に付いて行きましょうかね。」
「ダメでしょ! アンちゃんには、沢山の生徒さんいるでしょ!
苦しんでいる人達が、皆アンちゃんを頼りにしてるでしょ! 」
「それは矛盾していませんか?幸せをみつけろと、言ってましたよ。」
「いつも、私のそばにいてくれたでしょ。・・・私はもう大丈夫! 」
恐らく、幼少の頃の約束を妹は覚えているに違いない。
「私が治してあげる」と言う意味よりも
「そばにいてあげる」
という言葉の意味を大事にしながら。
ブリアレオス