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そう。音だけ聴いてりゃ幸せなのである。だが、そこに“映像”という強力な要素が加わってしまうと、’70年代後半から’80年代中期にかけてのドイツ(旧西)の音楽シーンというのは、途端に奇っ怪な見世物小屋の様相を呈すのである。
何が彼女をさうさせたか↓
まあ、かのハーゲン様である。いつもこうであるかといえば、そうなのだがwハーゲン様出すのは反則だろ、という意見もあるかも知れないが、私が見世物小屋状態と言っているのは「’70年代後半から’80年代中期にかけてのドイツ(旧西)の音楽シーン」である。当然に、彼女だけではない。ヒューバート・カーとて、この有様なのだ。何やってんだお前w↓
表題にあるように、いずれも曲は悪くないのだ。曲そのものは。ピーター・シリングの「Major Tom」だって本来なら良い曲のはずだ。実際ヨーロッパでは大ヒットしたし、アメリカのチャートでも17位にまで食い込んだ。だがその能面棒立ち演奏というスタイルは、すべてを灰燼に帰してなお余りある破壊力を有するのである。なんでそうなのさw↓
見世物小屋状態で言うなら、個人的に最強と思っているのが、DÖFの「Codo」である。曲は西ドイツのチャートで5週連続で1位を獲得し、国内のみならずオーストリア・オランダでもヒットしてシングル100万枚を売り上げてはいるのだが…。曲の良し悪しとは別に、ドイツのニューウェイブ歌姫とオーストリアのお笑い芸人が組むという発想自体が、そもそもの間違いやも知れぬ↓
ちなみに、歌姫の方は後に姉とHumpe & Humpeというユニットを組み、こんな奇怪な曲をリリースしている。おふた方にとっての日本とはいったいいかような存在なのか↓
どうでもいいが「コレが人生だ、斉藤」って何ですか。
さて、こうして見世物小屋映像を並べ立てるにあたり、これら奇々怪々な挙動が標準化される中においては、やはりネーナというのは頭ひとつ抜けた存在だったのなのだなと改めて認識するのである。つーかなんで英語で歌ってんのよ。誇らしくドイツ語でゴツゴツ歌うべしw↓
とはいえ、そんなネーナも“腋毛ファッション”という微妙なところでも有名になっていたわけだがw