帰宅後、服についた泥を払い、土に汚れたスコップを洗う。
ついさっきのことだが、土を掘る感触が生々しく蘇る。
この猫とは10年の付き合いだ。
今の妻と付き合い始めてすぐに家にいるもう一匹の猫が咥えて連れて来た。
さゆきと名付けられたその猫は白に黒のブチで、
特に鼻先にあるチャーリー・チャップリンのようなクロブチが可愛かった。
大飯食らいで、逞しく。
飼い始めてすぐに俺は遠くへ行くことになったが、
自宅へ置いていったさゆきは大丈夫だと、
そう信じさせるには十分なぐらい生命力に満ち溢れていた。
春夏秋冬を10回繰り返し、大きな怪我もなく成長していった。
さすがに老いたのか、去年の冬に入ってからは動きも緩慢になり、
寒さが身にこたえるのだろう、よく布団にもぐりこんで寝ていた。
いつものように仕事後の用事を終え、車を駐車場に入れる。
その最中にライトに照らされたさゆきの姿がみえた。
エンジンを止め、「さゆきー、こんなところで寝てると風邪ひくぞー」と
誰にいうともなく呟いてその小さな体を抱きかかえる。
返事は、無かった。
その体が冷えていたのは雨の飛沫を受けた所為ではない。
生命活動を終えたのだいうことに気づくのに、一瞬以上の時間を必要とはしなかった。
・・・俺は迂闊にも忘れていたんだ。
不幸や不運、失望というものは前触れも無く突然やってくることに。
盛られた土というそっけない墓標が、
俺の強くない心臓を締め付けているように感じた。
さゆきの首から外した2本の首輪つ鈴、そして名札がやけに重く映る。
この痛みが「命」を「飼う」などと表現する俺への警告だとするのなら
それさえもさゆきの残滓だと思えてしまう俺は、やはり傲慢なのだろう。
死臭に満ちた車を運転しながらタバコに火を点ける。
マッチを擦る右手がかすかに震えていた。
何十年後かにまた会えるぜ
そのときまで またな さゆき