自分の日記読んであの頃を懐かしんでいる。
苦しかったけれど仲間のおかげで楽しかったと。
私はリアではイベント運は全くなかった。
学校で表彰の候補でもたった一人の反対で他の人に候補が変わったり
転校でお別れ会で何人も送り出し私が転校の時はお別れ会とかはなかった。
社会人になり退職で送別会で何人も送ってきた。
そして私が退職するとき送別会はなかった。
年齢は若かったけれど私より長く勤務した人はいなく短期間で退職する人は送別会してもらえたのに。
お見舞いも親戚等が入院した時は必ずお見舞いに行ったが私の時は誰も来なかった。
そして快復後叔母から連絡があり
親戚Mが叔母に「広美ちゃんの事ずっと心配していた。でも仕事終わったあとはかったるいし
あの家の前の道は狭いから行くのが嫌だ。だからお見舞いししてやるから家に来るように言って。
とMさんが言ってたよ。本当にいい人だ。いつ世話になるか分からないから行きな。」
私は抗議した結果変わり者と批判された。
お見舞いって普通患者の元へ見舞いに行のが常識と思っていたのですが
患者がお見舞いしてくれる人の家に行くのが常識と初めて知りました。
そして私の家の前のは道確かに狭いですが4tトラックが何とか走れる位の道幅。
百歩譲っても大通りから家の前の道に入りますが入り口から15mも走れば我が家で
家の裏側、つまり大通りから10mも走らない場所に広い駐車場があるのでそこに止められるのですが。
体調悪いとき親戚に助けを求めても
「忙しいからダメ」「訳のわからない事言うな」「甘ったれるな」
で結局一度も来たことはない。
病院で再開しても
(親戚)「いつまで遊んでいるんだ。さっさと働きな」
(私)「病気が治らなくて、もう効く薬が何もないから治り難いらしい。嘘だと思うなら先生(医師)に聞いてみてもいい。」
(親戚)「訳のわからない事言うな」
と激怒。
※これでも1%も今までの出来事は話していません。序の口です。
そしてMILUに登録した時は対人恐怖症でした。
2009年1月体調を急に崩し苦しくて親戚にメールしたが相手にされず着信拒否。
親友にメールしたが着信拒否されその後生死をさまようことになった。
半年で体重が25キロ減った。
もちろん病気以外も原因がありお金がなく食べ物もなかったから1日1食は当たり前でサツマイモ1個なんて日もあった。
甘いものが欲しくても何もない。だから砂糖かじったり仏壇にあった落雁たべてしのいだ。
もちろんジュースなんて飲めなかったから夢の飲み物だった。
親戚から支援なんてない。
空腹は当たり前。そんな時期にMILUに登録した。
http://www.milu.jp/popup_inc/diary?id=73492&uid=saSboKg=
続く
※以前お話した自己中の友達?とt地位のある人物の陰謀で私は親友
や友達全員うしなった。
http://www.milu.jp/popup_inc/diary?id=196387&uid=saSboKg=
ちなみにこのリンクの件で親友に「世間離れしてるね」と批判された。