注意:このブログは非人道的な内容が含まれています。
赤ちゃんについて。。。
俺は親になったこともないし、男なので当然産んだことも無いので、赤ちゃんについて普通に、おしめがどうだの、ハイハイがどうだの、離乳食がどうだのなんて書くことはできないし、知ったっかぶりして主婦の共感を得るつもりもありません。
ってか多分敵に廻す・・・w
では何を書きたいのか、赤ちゃんの中身に興味がある。
人間の前段階であるカオスの中に生きる赤ちゃんとは何者なのか?
あの中には何が存在しているのか。
赤ちゃんは白紙の状態つまりカオス(混沌)を初期値として生まれてくる。それはまさに、原始宇宙とでもいううべきで、北欧神話なら天も地もない状態だろうか。勿論、そこには右も左もなく、ただあるのは、物理的現象からくる生物的反応のみだろう。
それに対して、確立した自我をもち、自ら思考し行動するものを大人・・・いや、生物学的にそのカテゴリーを『人間』とするなら、赤ちゃんや子供(幼児)とは、明らかに人間とは異なる存在であるだろう。それは、赤ちゃんの行動が思考の上に成り立っているとは到底思えないからだ。
ただ、厳密に言えば、思考するものの主体が脳ではなく、心とするなら、
赤ちゃんに心があるかどうかなんてことは証明することは出来ない。
それは安易に、話が通じないとか、会話が出来ないからなんてことではなく、心というもの自体を証明出来ないからだ。人間(大人)に心があるというのは、確立した自我をもち自ら思考しているから心という観念的なものが存在しているだろうという、言わば、妄想に過ぎないのである。
しかし、それが確実に存在するものであると科学的に位置付けるなら、赤ちゃんにそれの存在を模索するのは無い話ではないだろう。
ただ、今回の考察はそのバックボーンが違うし、そもそも科学でも心は定義出来ていない為、赤ちゃんの行動に思考が伴うかどうかは論じない。
さて、では赤ちゃんとは何者なのだろうか。
姿・形こそ人間であれ、その中身を全く異にする存在。
赤ちゃんは何をもってして生まれてくるのであろうか・・・。
生物学的に言えば、種の保存で、自分のDNAを後世に残すのが目的とされているが、であれば、よりよいDNAを残すために、親の獲得した情報を初期値として組み込んでもいいようにも思える。生まれた時から、言語をしゃべり、字を書き、自ら思考する・・・。しかしそうはなっていない。進化に必要な時間がまだ経過していないのかもしれないのだが、果たしてそうなのか。
そもそも種の保存とは何?と思ってしまう。
DNAを後世に残して何のメリットがあるの?種族の繁栄?そんなコミュニティじみたものが初期の生物に存在していたとは思えない。
ここで今までの考察を踏まえ、かなりブーイング的な俺の考えを披露したい。
実は生物が、自分自身に似せた存在を作りだすのは、種の保存ではなく、生命の危機管理機能からくるものなのではないか、と推測してみる。
つまり、己に似た存在を作りだすことによって、天敵・外敵からの自己の消滅の危険を担保させているのではないかと。。。
つまり簡単に言えば、身代わりである。。。
今の人間社会から考えれば、そんなの冗談じゃない!そんな訳ないだろ!と言われそうだが、原始生物と人間は、細胞レベルでこそ同系列であれ、全く異なるし、その生育環境も全く違う。人間には人を思いやる気持ちとか道徳とか倫理とそんな様々なものが存在するが、自我の確立も意思も思考も存在しない世界では、生物は食うか食われるか、生きるか死ぬかだけだ。
親の獲得した情報をコピーした存在が生まれないのも、身代わりに必要な因子が外見的特徴だけであって、余計な知恵を付けた存在は、親自らの生命の危機をもたらす可能性があると考えられるからである。
つまりその推論から述べれば、子に必要なのは外見的特徴だけの因子であり、それはDNAに組み込まれ、進化の過程でも変わらず受け継がれてきたが、余計な知恵・情報は必要とされない為、それには組み込まれず、勿論、そこが進化することもなく、赤ちゃんは外見こそ親に似ていても、まっさらな状態で生まれてくるというわけだ。
(ちなみに母性本能なるものについては、進化の過程の副産物と考える)
ちょっと誇大妄想教な側面はあるかもしれないけど、巧い具合に落ちたところで今日はこの辺で。
余談
最初は、哲学的アプローチを試みたが、最終的には生物学的帰結に
及んでしまった。
最後まで読めた人・・・凄い!!ご苦労様でした。