長文失礼致します。
今回も皆スルーだろうけど、書くw
今日のテーマは『心』です。
人間はオギャーと産まれた時は、まっさらな状態で誕生する。
まだ何も書かれていないキャンパスとでもいうのだろうか。
そこから色々なものを見たり聞いたり触ったり、あるいは感じたりし影響を受けて
自我を確立させていくと思うのだが、どの段階で心というものが芽吹くのだろうか・・・。
(そもそも心を定義できないので怪しい議論になることは間違いない)
色々な知識(情報)があり、それを元に考えるたり思ったり人間はすると思う。
それがまだない状態では何も考えられないのだろうか・・・。
心が確立されていれば、例えばお腹が空いた場合、『あーお腹空いた』と
言語情報に変換して心の中で思うのが普通だと思う。
その場合、言語の情報があるから『お腹が空いた』と変換して思うことができるのであって、言語情報がなければどうなるのだろう。
お腹が空いたとは確かに感じるが、言語としては表現できないだろう。
と考えると、言語情報は単純に意思伝達の手段にすぎない・・・のだろうか・・・。
お腹が空いたと感じる・思うのは、心の前に細胞レベルでの物理的現象なのだろう。
赤ちゃんの場合、お腹が空いたら言語による表現能力がないため泣く行為に及ぶ。
恐らくそれは人間以外の動物のそれと同じなのだろう。
心と感じるということは凄く密接な関係にあると思う。
感じるという行為は、人以外の動物でも存在している行為だと思う。
例えば、犬猫をしつけの為叱るとそれなりの反応は見せるからだ。
まーこの場合は学習によるところが大きいだろうが。
ちなみに昆虫の類にはどうだろう・・・感じるという行為・・・。
昆虫に怒っても多分彼らは意味不明だろう。しかし天敵の存在などは感じるということはあるかもしれない。
ここまで話を広げるとわけわからなくなるので、この辺は脳の違いとして落ち着かせとこう。
心というものが存在しているのは、人間だけだろう。
しかし、心らしきもの=感じることが発達している、と捉えるなら、チンパンジーなどは
それに当たるかもしれない。
ではチンパンジーに言語を与えたらどうなるだろう。
恐らく限りなく人間に近づくのではないだろうか。
つまり、恐らく心とは色々な要素が合わさった時に誕生するのかもしれない。
(始めからそんな感じだろうなとは思ってはいたけどw)
とりあえず結論、心というものは、感じるという行為の延長線上にあり、
言語情報を元に整理され発達していくのではないだろうか。
余談
久しぶりに『もののけ姫』を見た。
昔見たときより名作だと感じた。
ファンタジックで、話の筋が通っていて、見る者を飽きさせない。
最近、『風立ちぬ』を見たのだが、あれはなんだか色々なものを詰め過ぎて、
4巻分のDVDを2時間ものの映画にしたような感じだった。
要は宮崎アニメは昔の方が面白いw