さー始まりました、総一郎の長文三部作のラストです。
今日のお題は『霊』についてです。
今回も全く持って眉唾ものな話しになることは間違いない。
霊は存在するのか?
主は霊感もないし、霊もみたことないが存在すると思う。ただ科学が追いついてないだけ。
その根拠はあまりに多すぎる幽霊関連の話が存在するからである。
もちろん、それの全てが本物だとは思っていないが、本物も存在するのだろうと。
霊とはなんなのだろうか。
霊が見える人見えない人、感じる人感じない人、いる時いない時、全く持って不確定な
存在である。であるからして霊の存在には否定派が生まれるし、科学的に解明でき
ない点もその一つである。
結論から言えば、霊とは、『念(思い)』の具現化した物質化した姿なのではないかと思う。
何故そう思うか、それは今のところ動物霊しか聞いたことがないということと、
死んだもの全てが霊として現れるわけではないということからだ。
例えば、昆虫の霊がいないのもそもそも昆虫に思念が存在していないからだと言う
ことができるし、犬猫の霊が多いのも、人間との関わりが深くそこに思念らしき存在が
発生してるかもしれないと仮定できるからだ。
更に死んだもの全てが霊になる訳ではないというのは、生前の思念の強いものが
霊になる確率が高いから?と言うこともできる。
では思念、念とはなんだろうか。
前回話をした心に近いものだと思うが、心は横の広がりをみせるものだとすれば、
念は縦にのみ伸びていくものではないだろうか。
ある一点にのみ伸びる強い思い。
しかし一番の問題点は念が物質化するかというところだ。
これは流石に現代科学では捉えることは出来ていないため、非常に難しいところだが、
量子論という学問が入口を作ってくれるかもしれない。
もし、念を構成する物質がその性質や特徴を量子論で説明しうるなら、霊の存在を
科学的に捉えることは出来てくるのではないだろうか。
霊の存在を認めながらも、その実態は人間の錯覚であると考える人もいる。
確かに自己暗示的な要素は否定できない。心霊スポットに、霊が出る場所とは告げず
昼間向かえば、なんの恐怖心もなく訪れることができるだろう。
つまり人間の恐怖心が自己催眠をかけ、存在しないものを見せる。
この自己催眠・暗示は恐ろしく仕事が出来、例えば、冷たい鉄の棒を真っ赤に焼けた
鉄の棒だと暗示をかけ、皮膚にあてればそこが火傷してしまうというから凄い代物である。
しかし、これに反論するならば、人間が恐怖心を感じ不安に駆られている状況では
その辺を漂っている念にアクセスし易い脳の状態になっているのかもしれないとも
いうことができる。何故なら人間の脳なんてまだ全てが解明されてないのだから。
とまー、こんな感じで霊の存在を肯定してみたわけだが、『~かもしれない』
『~と言うことが出来る』の連発で恐ろしく曖昧な考察であった。チャンチャン♪
余談
最近、すっぱいものが食べたい・・・。
多分、妊娠してると思うw
ご懐妊~キタ ━━━ヽ(´ω`)ノ ━━━!!