明日も仕事なので、今日は早くに帰宅しました。
庭先で男の人が立っています。
紫陽花をそっと掬い上げて、じーっと眺めています。
よほど花好きな人なんだろうと思い、
「今年は、いい色出てるでしょう」と話しかけると、
嬉しそうに何度か頷き、「いつも楽しませてもらっています」と返してきました。
「はさみ取ってくるから、ちょっと待ってくださいね」と急ぎ家の中に入ろうとするや、
「いえ、先日戴きました」
家人に聞くと、仕事帰りに毎日立ち寄って、ああして花を観賞しているみたいなのです。
切り分けた花も、部屋に飾り長持ちさせてくれることでしょう。
花を渡すにも人選は難しいものです。
喜んでもらえるのは有難いけども、本音は我が家で咲いていてほしい。
ときどき、激しく呼び鈴を押して、あれほしい、これほしいと名前も知らないおばさんが訪れますが、こういうのは論外!4月には、たった2つしか咲いてないアヤメを欲しがってきたときには、とび蹴りいれたくなりました。
また逆に、とても喜び、翌日に広島から生ガキを仕入れ抱えるほど持ってきてくれた人もいます。
これはこれで、短い花の命にそこまでの価値を見出す情趣に感動したものの、我が家は売り物をこさえているんじゃないからと断るのに四苦八苦。
花屋で買えば、もっと安くすむものを!
とにかく今回は、いい人にもらっていただけたと思っています。
男の人でも花をもらって喜ぶ人も大勢いるでしょう。
むしろ、そういう人は、好意を感じ取れる余裕も持っているから、煙草ひと箱、アメちゃん一粒、雑巾一枚でも感謝してくれそうです。
僕は、かれこれ十何年来、父の日こそ一番の繁忙期にしたくて頑張ってきました。
しかし、自分の中で大成功と思えたのは、たったの一回。
実に消費税以下の勝率です。
ネクタイやらシャツ、定番の物を扱っている会社なら、伸びもいいのでしょうが、世間一般では意識なく過ぎていく日曜日。
私の心も折れました。
父ちゃんの日は、手出ししません。
手出しはしませんが、どうも百貨店の仕掛けも面白みないんですよねぇ。
ギフトというものは、むしろ贈る側が楽しむものであってほしいのです。そこからイベントは拡散し、ただの日曜日じゃなくなるはず。
おっさんの服や手帳並べて、誰が寄りつくんじゃ!!
水鉄砲でも花火でも舟券でもなんでもいいはずなのに。。。
「君たちは、俺からしたら子供みたいな年なんやから、俺を喜ばすものをなんか用意しときなさい」と今日、若い後輩たちに言ってやりました。
たばこ1本、缶コーヒー半ぶんこでもいいんです。
驚かそうと蛇を連れてきても怒ったりしません。
「グラーツむかつくねん!」と他の人と差別されて壊れたボールペンでもかまいません。しばくけど。
赤いカーネーションという絶対的な定番はなくても、たとえ悪戯心でも、それを選ぶ過程を楽しんだことを受け取る側が感じ取れる。父の日はそういう日になってほしいなぁ。。
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