「永遠」という言葉ほど 便利なものはない
どんな言葉とも親和性が高く
ほどよく 情緒を色付けしてくれる
そして 誰でも ちょっとした詩人のような気分になれる
それは まるで マヨネーズのように
どんな食材ともマッチする
いや どんな言葉とも 相性がいい
もっとも マヨネーズが嫌いなら 意味をなしてませんが
因みに 私はマヨラーです
よけいなこととは思いますが
チラッチラッと自己主張する悪い癖で つい
では その「永遠」の威力の一端を たとえば
「永遠の愛」うーん これは完の璧
「永遠の友」「永遠の午後」「永遠の絵画」
・・・ いくらでも作れます
後ろに何をつけても様になります
さらに 「永遠のバナナ」なんてのも作れます
どーです 様になっているでしょう?
(微妙)
もしや バナナを食べてみたくなったんでは?
さて どんなバナナでしょう?
思わず あなたが バナナを食べてるところを想像しちゃいました
それは置いといて どんなものでも 永遠という言葉に引きずられて
なんとなく 素敵なイメージを描き出してくれるます
でも やっぱり「永遠の愛」が 言うまでもなく最高
ところで なんで 私が いまさら「永遠の愛」なんて言葉を持ち出すかというと
それは真逆なのです
有限な生命しか与えられていない私 すなわち 有限な私が
安易に 永遠な神の前で「永遠の愛」を誓ってはいけない
それは分に過ぎるという言葉に遭遇したからです
マタイによる福音書5章33~37節に そんなことが書いてあるらしい
勝手に 都合のいいように 解釈しているフシもありますけど
とはいえ このことを初めて知ったとき 妙に納得してしまいました
そして 「永遠の愛」なんて美しい言葉に振り回されないで
欲望の限り 刹那に 愛するということが 有限な私にふさわし愛の姿だ
なんて 思ってしまいました
(こいつ自己正当化してるな こまったもんだ)
さーて 言いたいことは言ったので 寝るとするか
また 偏った自己主張しちゃったかな?
(反省しろ!!)
では 永遠の麗児は寝ます 明日休みだ 爆睡しよっと
最近のSS
