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まぜるなきけんのMILU日記
タイトル 舞鶴出張②【閲覧注意】   おすすめ(13) 2016-03-23 16:12:20

二葉百合子 岸壁の母

 

 

みなさん(*^・ェ・)ノ コンチャ♪

 

先日の舞鶴出張の日記の続きになります。

 

発電所の仕事を終え少し時間があったので

舞鶴引揚記念館に行ってきました。

 

 

 

舞鶴引揚記念館(まいづるひきあげきねんかん、英語:Maizuru Repatriation Memorial Museum)は、京都府舞鶴市にある博物館相当施設である。

 

昭和20年(1945年) 第二次世界大戦が終結し、旧満州(現・中国東北)や朝鮮半島をはじめ南太平洋など多くの国や地域に約660万人もの日本人が残されました。

これらの方々を速やかに日本へ帰国させなければならなくなり、“引き揚げ”が開始されました。呉をはじめ順次18港の引揚港が全国につぎつぎと設置され、舞鶴もその役割を担うこととなり、主に旧満州や朝鮮半島、シベリアからの引揚者・復員兵を迎え入れる港となりました。

 

 舞鶴では昭和20年(1945年)10月7日に最初の引揚船“雲仙丸”の入港から昭和33年9月7日の最終引揚船“白山丸”まで国内で唯一13年間にわたり約66万人もの引揚者・復員兵を迎え入れました。

 

 舞鶴引揚記念館は、昭和63年(1988年)4月に舞鶴市民や引き揚げて来られた方々をはじめ、全国の皆様のご支援・ご協力によって開館し、再び繰り返してはならない“引き揚げ”の史実を未来に伝え「平和の尊さ、平和への祈り」のメッセージを発信しております。

 

  当館には、シベリアの地で使用したコートなどの防寒着をはじめ引揚證明書などの文書類など全国から約1万2千点の貴重な資料の寄贈を受け、常設展示にて1000点を超える展示をおこなっております。←WEBより

 

 

続いて動画の岸壁の母についてです。

 

岸壁の母(がんぺきのはは)とは、第二次世界大戦後、ソ連による抑留から解放され、引揚船で帰ってくる息子の帰りを待つ母親マスコミ等が取り上げた呼称。その一人である端野いせをモデルとして流行歌の楽曲、映画作品のタイトルともなった。

 

 

 

 

展示物を見ると当時かなりの困窮を強いられて様子がわかります。

 

紙や鉛筆がない為、白樺の皮をノート代わりにし

ペンの代わりに消し炭から色を取って文字を書き残されていました。

 

 

 

 

 

引き揚げ時に靴に隠し検閲の目をかい潜り持ち込まれたノートなどが展示されていました。

 

 

 

 

敗戦と同時に立場が逆転し強奪なども当たり前のように行われていたようです。

 

遺骨となり帰国された方も多数いたそうです。

 

 

 

なんか重たい日記になりました・・・(´・ω・`)

 

 

メンテナンスあけもどうぞ宜しくお願いします♪

カテゴリ:その他 > その他
コメント(23)
Kco 2016-03-23 16:31:58  
舞鶴かー
京都なのに行ったことないなぁ・・
近いと行かないものですね
ケロ美 2016-03-23 16:34:48  
そんな方たちの力添えの後に、私たちの人生があるのねぇ
ホーリィ 2016-03-23 16:35:49  
すごく勉強になったの!
優菜2013 2016-03-23 16:46:21  
同じくすごく勉強になりました^^
HALON 2016-03-23 17:54:38  
なるほどー、そういうことがあったんですねー^^
メンテ明けもよろしくお願いいたいします♪
totimoti 2016-03-23 19:06:25  
すごい
とっても勉強になりましたφ(..)メモメモ
優羽莉 2016-03-23 21:30:56  
ふむふむ
知らんかったよ〜
メンテ明けもよろぴく♪( ´▽`)
kurityan 2016-03-23 22:16:39  
閲覧注意って^^;
忘れちゃいけないことだねーー^^
朱夏812 2016-03-23 23:42:14  
母の愛が届かない時代は 辛い(´・ω・)(・ω・`)ネー
こるてぃ 2016-03-24 00:44:37  
勉強になりました・・・
麻耶菜 2016-03-24 07:36:41  
実話なんだよねー(´・ω・`)
歌(´・ω・`)
悲しい歌です
竿は30日までだぅたねwww
Fi 2016-03-24 11:24:51  
舞鶴港が引揚港になっていたことも
18ヶ所も引揚港があったことも初めて知りました
taroukaja555 2016-03-24 12:16:05  
ロシア抑留体験のある人の反ソ、反ロ感情はすごく激しいね。よほど、ひどい目にあったみたいで、
pi子 2016-03-24 12:26:46  
しぃごい、博学じゃw
マリーア 2016-03-24 15:40:19  
勉強になりました
閃斗 2016-03-24 15:53:54  
舞鶴、行ったことないな~
他に見所はあるんだろうか?
色々と勉強になりましたwww
クリスチーネ 2016-03-24 19:23:15  
色々な地方の事をこうやって知ることはなかなか機会のない事です。
勉強になりました。
根日女 2016-03-24 22:16:59  
舞鶴、知らなかったな~
unoken 2016-03-25 09:01:35  
勉強になったー!
虎汰朗 2016-03-25 09:12:42  
かしこくなったよ!!
らいでん 2016-03-25 09:29:14  
小さい頃、どっちかの親がリピってラジカセで流してた記憶が…^^;
意味が解っていたのかは不明、少なくとも子どもは解ってませんでした。
「“今日おぉぉぉぉも お・きいぃぃた~”(・∀・)?」

流石に成長したらそんな事は無くなりましたが、舞鶴が舞台だったんですね…。
べべこ 2016-03-25 11:06:56  
引揚げ記念館あるのねぇ
全く知らなかった(;´・ω・)
とゆーか・・・舞鶴を他地域と勘違いしてた
時点であたしアウトな気がする(;^ω^)
XチュチュX 2016-03-25 20:36:04  
舞鶴はしょっちゅう通ったりしてました。
街を歩くと水兵さんを見かけたりもしました^^
時々、軍艦みたいなのが停まったりしてて
よく写真を撮ったものです^^
それにしても、二葉ゆりこさんの浪曲というか、
この名曲は心にしみます。
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