大正元年生まれのアララギ婆様からの幼少時からの食事を思い出してもらいつつ聞き取り調査を行った。
1.普段は、毎朝どんぐりの粉で作った団子汁をかきこんで学校に行ってたが、同級生の中には朝めし抜きの子もいた。卵は家長と病人の食べ物で子供の口には入らなかった。
2.昼は弁当代わりにふかし芋を持ってくる子、とかが多かった。通学の途中野苺、グスベリ、桑の実、オンコの実をよくとって食べていた。
3.川で遊ぶときは、しじみをとったり、川エビやどじょうを捕まえてそれがおかずになったとか。
4.米が食べられるのは年に数回程度で、盆、正月、芋煮会、冠婚葬祭の時くらいのもので、晩飯も蕎麦とか粟や稗、黍のはいった雑穀のおかゆに大根や青菜も加えたものに、たくわん、うぐいかイワナの目刺がおかずだった、らしい。雑穀粥にサツマイモが入っていればごちそうで、どんぐり団子がはいっている方が多かった。
5.正月の雑煮はとち餅で、焼いたどじょうの骨で出汁を取って具には人参大根里芋と猪の肉なら味噌仕立て、うさぎなら醤油仕立てでめったに食べられないごちそうだった。
6.なんといっても最大のごちそうは芋煮会であって、これは今も変わらない。村でも部落ごとに老若男女を問わず楽しみにしていて里芋ねぎ、大根、ニンジン、猪の肉が大量に使われて、みそ仕立てである。村人全員に米の握り飯がふるまわれるのが昔からのしきたりである。
なお、芋煮会を差配する女性は芋ねえちゃん、もしくは芋おばんとよばれ、村民から敬意を払われている由。アララギ婆様も昔は芋姉ちゃんと呼ばれたもんだと、今でも自慢している。
7.部落によっては蜂の子も加えた蜂の子飯もあって、甘くて喜ばれていた由。