茶々様を取り上げたいと思います!出身は近江国、現在の滋賀県の出身です。彼女の母親は、戦国一美女と言われた「お市の方」です^^彼女自身も母親譲りの美貌で有名です!父親は、浅井長政です^^父親は後に夫となる豊臣秀吉によって攻め滅ぼされ殺されてしまいました><死ぬ前に父によって、母と妹達と共に母の実家に連れ戻されました。その後、母であるお市の方は柴田勝家と再婚をしますが、又しても秀吉によって攻められ2人を失いました><彼女達は、2回も親を亡くすという悲劇に見舞われました・・・なので秀吉から結婚を申し込まれた時、非常に怒り(# ゚Д゚)拒否しました!そりゃ当然ですよねー!!誰が好き好んで親を死なせた奴と結婚したいとは思わないですよね!!ですが妹達の命や助けてくれた家臣達の為・正室であったねね様の嘆願もあり、結婚の申し込みを受け入れ1588年に秀吉の側室となりました!その後、男の子の跡継ぎがいなかった秀吉に「秀頼」を産み、豊臣家での地位を確かなものとし実権を握りました!それからずっと彼女は秀頼と豊臣家を守る為に、生涯を捧げました!!
関が原の戦いの後、豊臣家は領地を取り上げられ大名にまで格下げさせられていました。家康は豊臣家を滅ぼしたかったので、何かにつけて無理難題をふっかけ茶々を怒らせていました。それが戦にまで発展し「大阪冬の陣」と「大阪夏の陣」という大きな戦争に至る結果となりました!戦の際、自ら兵士達を1人1人鼓舞して回ったそうです。豊臣方には「真田幸村」などの名だたる武将もいて懸命に家康と戦っていましたが、兵力の差があまりにも大きかった為、「大阪夏の陣」で豊臣軍は敗北してしまいました><家康は降伏をすれば命は助けると伝えてきましたが、茶々はこれを拒否!!燃え盛る大阪城で、息子である秀頼と共に豊臣家の誇りを持って自害してその一生を終えました!!波乱に満ちた49年の生涯でした・・・無念だったでしょうねー><これによって、豊臣家は完全に滅亡しました。今の大阪城は再建された姿です^^いつか本物見たいです!!
悲しい事があっても、運命を受け入れ立ち向かう決心をした彼女に見習って私も頑張ろうと思いました^^いかがでしたでしょうか!なるべく噛み砕いたつもりであります^^;温かいコメントをお待ちしております!!読んで下さりありがとうございました^^