
木戸孝允、桂小五郎の方が知ってる方もいるかもです。
長州藩の剣術師範家のひとつの内藤作兵衛(柳生新陰流)の道場に入門しています。
嘉永元年(1848年)、元服して和田小五郎から大組士・桂小五郎となり、
実父に「もとが武士でない以上、人一倍武士になるよう粉骨精進せねばならぬ」ことを言い含められ、
それ以降は剣術修行に人一倍精を出して腕を上げ、実力を認められるようになりました。
木戸孝允(きど たかよし、あるいは、こういん、とも読みます。)は明治維新政府でも、志士時代と変わらぬ活躍を見せ
ます。
総裁局顧問や、外国事務係、参与といった重要なポストにつき、「五箇条の御誓文」の作成にも参加します。
そして、1871年、西郷隆盛とともに参議の役職につくと、政府の重要ポストを薩摩と長州の人材で独占し、
「廃藩置県」の政策を断行します。
廃藩置県とは、文字通りそれまでの「藩」を廃止して、新政府の管轄のもとに置かれた「県」にする政策で、
これによって、日本各地に代々続いていた大名という勢力は無くなり、
各藩が独自にもっていた武器、兵力なども武装解除され、あらたに新政府の統制のもとでの全国的な軍隊が編成
されました。