https://toyokeizai.net/articles/-/342551
新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)が猛威を振るっている。このウイルスが何を起源として人に感染したかは明確にされていないが、中国にはコウモリなどの野生動物を食べる習慣があり、それが原因になった可能性が指摘されている。
野生動物ではなくても鶏や豚などの家畜が原因となる疫病も過去には発生している。日本でも鳥インフルエンザや豚コレラの流行によって多くの鳥や豚が殺処分された。
こうした観点から今後、注目を集めそうなのが、人工的に製造できる培養肉(人工肉)だ。培養肉は生体の家畜から取り出した筋肉を培養して増殖させるものだ。東洋経済オンラインでも「ヤバすぎる!『培養肉ハンバーグ』の衝撃」(2014年12月27日配信)などで報じてきた。
近年は欧米を中心に研究や実用化が進んでおり、一部では商業化も始まっている。日本でも日清食品ホールディングスと東京大学が、約1センチ角のサイコロ状の組織を作製し、培養ステーキ肉の実用化に向けた研究を進めている。
肉の消費量増大に対応する
これまで代用肉として大豆などの植物由来のものが商業化されて久しいが、従来の製品は味や食感、栄養分が肉とは違う。対して培養肉は代用品ではない。肉だけではない、内臓、皮革、羊毛、卵、乳なども培養で供給することが可能になるだろう。さらにはマグロなどの魚肉のほかやクジラの肉の生産も可能になる。
どこの国でも豊かになって所得が上がれば肉食が増える。端的な例は中国だろう。21世紀になって中国の肉消費は爆発的に拡大した。例えば韓国は1970年代の1人あたりの牛肉消費量がわずか月7グラム程度にすぎなかった。韓国料理といえば焼き肉を連想するが、おいそれと焼き肉は庶民の口に入るものではなかったのだ。
現在多くの途上国では所得が上がり、人口も増えている。それに比例して肉の消費も急激に増えてきた。供給を支えるのは牧場や養鶏場だけではない。飼料となる大豆やトウモロコシ、大麦、えん麦などの穀物の栽培も増やさなければならない。大豆に関していえば私たち人間の食用となるものは世界の生産量の約1割程度にすぎない。後は飼料として消費されている。飼料にはまたイワシなどの海産物も多く使用されているが、これも乱獲によって減少が心配されている。
飼料の生産も含めて畜産は環境負荷が高い。ジャングルや森林が切り開かれて牧場や農地になるので環境破壊になる。また糞尿など排泄物の処理も費用がかかるだけではなく、環境負荷が大きい。
牛のおならとげっぷなども深刻な問題と指摘されている。牛1頭がげっぷやおならとして放出するメタンガスの量は、1日160〜320リットルにも上る。畜産業は二酸化炭素の排出量も多い。また利用されるのは主として肉や革、一部の内臓で、多くの部位が廃棄される。その処理もまた環境負荷の原因となっている。
世界の人口は途上国を中心に増加が続いており、100億人を超す日もそう遠くないと考えられている。地球への負荷は甚大になっていく。
それでも全世界の人間に対して肉を食べずに、菜食主義者やビーガンになれというのは無理な注文だろう。菜食主義者やビーガンにしても植物由来のハンバーガーや代用肉を食べている。また精進料理にしても海苔や山芋を使ったものや、ウナギの蒲焼もどきなどもある。肉を食べたい、動物性タンパク質を欲するのは人間の摂理である。菜食だけだと健康上の偏りも気になる。
その点においても、環境負荷が少ない培養肉に注目が集まっている。動物をまったく使用しないわけではないものの、培養肉の生産が軌道に乗れば、畜産の1割以下のリソースで同じ量の肉や革などが生産できると言われている。培養肉の原料としてはタンパク質を多く含んでいる昆虫類を使用することも可能だろう。地球の環境を維持し人類が生存するために、畜産の拡大を抑制することも必要になってくる。
有事に備えた自給率の向上にも
培養肉は安全保障や軍事にも大きな影響を与えそうだ。例えば日本は多くの畜産品、飼料を数多く輸入しているが、国内に培養肉の生産拠点をつくれれば輸入品ほどの高い関税を払わなくてもよくなり、消費者は安価に酪農製品を買うことができる。有事に際しての食料自給率が高くなることで安全保障上も有利だし、国内で雇用も生み出せるかもしれない。
培養肉を開発、生産する技術は再生医療の技術と同根であり、培養肉の産業化が進めば、筋肉や内臓、皮膚、骨などの人体の再生にも大きな進歩をもたらす可能性がある。
余談になるが、NASA(アメリカ航空宇宙局)は、宇宙船内で大便を食料に転化するという技術の開発に補助金を提供している。細菌によって糞便を分解して別の微生物へと変貌させる。糞便の分解で放出されたメタンの影響で大量のメチロコッカス・カプスラタスという微生物が生成される。
これは家畜飼料に使用される微生物で52%がタンパク質で、36%が脂肪である。培養肉の原料には適しているだろう。糞尿に限らず、生ゴミ、廃油などを食品としてリサイクルできるのであれば、食料庫のスペースは大幅に減るし、食肉などを保管する冷蔵庫やその電力も低減できる。特に潜水艦では有用な技術となるだろう。
現在商船、軍艦問わずゴミや糞尿の洋上廃棄は禁止されている。これらの「不要物」を船内に保管して寄港地で処分しなければならない。その費用もかかる。これら「不要物」の保管場所も、陸上での処理費用も必要なくなる。これは地上の駐屯地、戦時や海外のPKOでも重要だ。
肉の補給が必要なくなれば、冷蔵施設や冷蔵運搬車などの兵站負担を大幅に減らせるし、糞尿の処分も不要になる。当然に使われる燃料も大幅に削減できる。もっともこれが実現するのはかなり先の話だろう。