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titoのMILU日記
タイトル 日記39   おすすめ(6) 2021-08-05 23:51:00


ラベンダー         

(英:lavender [ˈlævəndər]、仏:lavande)は、シソ科ラヴァンドラ属(ラベンダー属、Lavandula)の半木本性植物の通称である。または、半耐寒性の小低木Lavandula angustifolia (通称:ラベンダー、コモン・ラベンダー、イングリッシュ・ラベンダーなど)を指す。


伝統的にハーブとして古代エジプト、ギリシャ、ローマ、アラビア、ヨーロッパなどで薬や調理に利用され、芳香植物としてその香りが活用されてきた。ラベンダーの栽培は1930年代に本格的に行われるようになるが、それ以前は野生種の刈り取りがほとんどだった。

日本におけるラベンダーの初期の記述としては、江戸文政期の西洋薬物書に「ラーヘンデル」「ラーヘンデル油」の名で詳細な説明がある。幕末期には一部ではあるが、精油が輸入され、栽培も行われていたと考えられている。昭和期には香料原料として、北海道富良野地方などで栽培されて精油が生産され、1970年にピークを迎えたが、合成香料の台頭で衰退した。現在では富良野などでラベンダー畑が観光資源となっている。

現代でもL. angustifolia(コモン・ラベンダー)やL. latifolia(スパイク・ラベンダー)、L. x intermedia(ラバンジン)などが精油を採るために栽培され、精油は香料として用いられたり、アロマセラピー(芳香療法)としてリラクゼーション等に利用されている。

ちなみに、ラベンダー色(英語版)は薄紫色を意味する。

ラヴァンドラ属(ラベンダー属、lavandula)は、半木本性植物で、低木のような草本、小低木、亜小低木である。多年生のものとそうでないものがある。ヨーロッパ南部を中心に39種が知られ、高さは2メートル以下。原産地は地中海沿岸、インド、カナリア諸島、北アフリカ、中東などである。春に紫や白、ピンク色の花を咲かせる様々な種がある。中でも紫色の花が最もポピュラーである。多くの種は、花、葉、茎は細かい毛でおおわれており、その間に精油を出す腺がある。揮発性の油を多く含むため、草食動物はほとんど食べないが、芳香で蜂などを引き寄せる。ユーカリと同じように夏の熱さなどで自然発火し、野火をよぶ。種子は野火の後に発芽する性質がある。ラヴァンドラ属には、ラベンダー特有の香りがない種も一部存在する。園芸用としても愛好されている。

主にラベンダーと呼ばれるL. angustifolia(コモン・ラベンダー)だけでなく、その近縁種や交雑種もラベンダーと呼ばれることがあるため、ラベンダーの名で販売される苗やラベンダー油(英語版)がL. angustifolia のものとは限らない。

語源は英語のlavender は古フランス語のlavandre に由来する。lavandre の語源として様々な説があるが、「洗う」という意味のラテン語 lavo やlavare から来るといわれる。古代ローマ人達は洗濯に用いたり、浴用香料として疲労や硬直した関節を和らげるために利用したという。学名のLavandula は他のヨーロッパ言語でラベンダーを指す言葉からリンネが命名したと言われる。

しかし、この通説を裏付ける歴史的証拠はなく、一般的に古代ギリシャ人・ローマ人はラベンダーを入浴に利用しなかったなどの問題点があり、作り話である可能性がある。UpsonとAndrewsはローマ帝国での入浴に関する記述を確認したが、ラベンダーの使用はなかったという。UpsonとAndrewsは、ラテン語のlivere と中世ラテン語lavindula から推測し、「青みを帯びた、青みがかった」を意味するラテン語livere に由来するという説を提示している。

ヨーロッパ各地で盛んに品種改良が行われたことや、交雑種を生じやすい性質のために、呼び名や学名はかなり混乱しており、分類に関しては現在も研究が進められている。また植物学上の分類では同一種であっても、産地により抽出される精油の成分組成や香り、生物活性(効能)が異なる事から、生産地名を加えて区分しているものもある。歴史的にひとつの通称が、複数の種に用いられる例も見られる。同じ種のラベンダーでも、多数の通称を持つものも少なくない。

古代ローマでは、L. stoechas(イタリアン・ラベンダー)、L. pedunculata(スパニッシュ・ラベンダー)、L. dentata(キレハ・ラベンダー) はローマ時代にすでに知られていた。地中海地方に自生するいくつかの種が活用されたが、それらはほとんど区別されることはなかった。L. angustifolia(コモン・ラベンダー)を初めて他と区別したのは、中世の修道女ヒルデガルト・フォン・ビンゲン(ユリウス暦1098年 - 1179年)である。中世ヨーロッパでは、ヨーロッパのラベンダーはストエカス(L. stoechas、L. pedunculata、L. dentata) とラヴェンドラ (L. spica、L. latifolia)の2つのグループにわけられていた。リンネは『植物の種』Species Plantarum (1753年)で、当時知られていたラベンダーを一つの属にまとめた。5種のラベンダーが挙げられ、L. multifida、L. dentata (スペイン)、L. stoechas、L. spica。L. pedunculataはL. stoechas に含まれていた。L. angustifoliaとL. latifolia は区別されず、L. spica とされた。

最初の近代的な分類で重要なものは、1937年にキューのDorothy Chaytorが行ったもので、28種をストエカス節、スパイカ節、スブヌダ節、プテロストエカス節、カエトスタシス節、デンタータ節の6つの節に分けたが、容易に割り当てることのできない種が残された。栽培種や園芸種はスパイカ、ストエカス、プテロストエカスの3節から出ており、カエトスタシス節はインドやイラン、スブヌダ節はアラビアやソマリアに分布する。現在日本で見られるものは、園芸書ではイングリッシュ系(スパイカ節)、フレンチ系(ストエカス節、デンタータ節)、ラバンジン系(L.a.ssp angustifoliaとL. latifoliaの交雑種)、その他に大別される。フレンチ系はイングリッシュ系より開花期が早い。スパイカ節(イングリッシュ系)の種は分類・学名に変遷があるため、現在でもL. angustifoliにL. officinalisやL. veraなどの古い学名の使用するなど、学名の誤用が見られる。

現代では、クライストチャーチ植物園などでBotanical Officerをしていたヴァージニア・マクノートン(Virginia McNaughton)は、スパイカ節、ストエカス節、プテロストエカス節、カエトスタシス節、スブヌダ節の5つの節に分かれるとしている。

ヨーロッパでは伝統的に精油が医療に利用されていたため、西洋医学(蘭方)が日本に伝わると、日本の医師や学者は西洋の薬用植物や精油、精油の蒸留法、利用法に興味を持ち、情報を集めて医療に利用した。ラベンダーは文政期に、宇田川玄真(榛斎)訳述・宇田川榕庵補校による西洋薬物書『遠西医方名物考』(1822年)及び補遺(1934年頃)に「ラーヘンデル」「ラーヘンデル油」の名で詳しい説明があり、以降江戸後期の翻訳書・蘭学書にもラベンダーや精油についての記述がある。フランス語のlavande は、蘭学者の翻訳によりオランダ語のlavendel (ラーヘンデル)として紹介された。翻訳作業を通して蘭方薬(西洋薬)に使う生きた植物を輸入しようという機運が高まった。遠藤正治によると、大槻玄沢と宇田川玄真が幕府に申請したオランダからの輸入のリストにはラベンダーも含まれていたという。1819年には花と精油が輸入され、万延元年(1860年)に遣米使節団によってもたらされた植物の種子には、ラベンダーの種子が含まれていた。日本の香り文化を研究する吉武利文は、本草学者山本榕室に送られた種子の記録や、旗本で本草家の馬場資生圃(1785年 - 1868年)のラベンダーの絵などから、幕末期には一部ではあるが、精油が輸入され、栽培も行われていたと考えられる、と述べている。

ラベンダーの本格的な栽培・精油の蒸留は、1937年(昭和12年)に曽田香料株式会社の創業者・曽田政治が、フランスのアントワン・ヴィアル社からラバンデュラ・オフィキナリス(Lavandu la officinalis )の種子を入手したことに始まり、1942年(昭和17年)には日本最初のラベンダー油が採取されたといわれてきた。しかし吉武利文は、株式会社永廣堂の沿革には、1935年に伊豆(富戸)でラベンダー油・ゼラニューム油(ゼラニウム油)の栽培・採油を開始したとあり、それ裏付ける1939年の資料もあるため、北海道より伊豆の方が少し早かった可能性もあると指摘している。戦時体制下であった当時、伊豆では国産香料の生産が目指され、クロモジやゼラニウムの蒸留の他に、ラベンダーも試験的に栽培・蒸留が行われていたが、第二次世界大戦が始まると食料増産のためラベンダーの生産はできなくなった。戦後は、伊豆では一部に残るのみとなった。曽田香料は戦中ラベンダーの原種苗を保存し、終戦後は契約による委託栽培を募り、富良野地方などでラベンダーの栽培・蒸留が広く行われた。しかし、1972年(昭和47年)頃から合成香料技術の進歩と輸入自由化の影響を受けて衰退した。

1960年代までは、ヨーロッパを旅する機会のない日本の一般大衆は、ラベンダーをほとんど知らなかった。フランスではラベンダーの香り袋やラベンダー油を用いた製品がよく見られるため、フランスを旅したり滞在したことのある日本人は知る機会があった。日本が経済的に豊かになるにつれ海外旅行をする人が増え、ヨーロッパでラベンダー関連製品の香りを自身で体験し、興味を持つ人が増えた。

1975年に国鉄のカレンダーで北海道富良野のラベンダー畑が紹介され問い合わせが殺到し、観光資源として栽培されるようになった。人気テレビドラマ『北の国から』(1981年 - 1982年)でもラベンダー畑が登場して話題となった。富良野のラベンダー畑は、夏の北海道旅行で立ち寄る場所の一種の「定番」となり、多くの日本人がラベンダーに親しむようになった。

筒井康隆の小説『時をかける少女』(1967年)やその映像化作品であるテレビドラマ『タイム・トラベラー』(1972年)、および原田知世主演・大林宣彦監督の映画『時をかける少女』(1983年)に、物語の鍵としてラベンダーの香りが登場した。それらの作品(特に1983年の映画)に接した人は、その名前と香りの特徴を知った



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コメント(5)
2021-08-06 00:21:10  
φ(`д´)メモメモ...
2021-08-06 00:23:28  
ラベンダーは香りも癒されます!
2021-08-06 00:26:21  
ぽちっ!元気してまっか?
oldlonlywolf 2021-08-06 07:24:04  
トイレの芳香剤・・・・( ̄▽ ̄)
マレフィセント 2021-08-06 15:53:38  
華知識・・・"φ(・ェ・o)~メモメモ
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