にゃぁなのです☆
『移ろいやすい人の心を縛る権利も、力も、必要も、ない』
誰の言葉なのかはgoogle先生にでも聞いてください。
『永遠』という言葉が如何に儚いか。なぜ儚いのか?
何故人と云う生き物は、絶えず心を変え、さながらアメーバのように心変わりをしてしまうのか?
家族にしろ、給料にしろ、愛情にしろ、それは自由を求める人々の魂の叫びを縛ることは出来ない・・・と、個人的には思っている。
何故なら、人はそもそも自由な存在だから。
にゃぁが (良心的な) リバタリアンだからなのです☆
ある人は『人も気持ちが分かる人になってください。』とのたまう。
身の程もわきまえずに、綺麗な言葉で自分を着飾って、上から目線で相手を責める。
その言葉は、数々の自分の言動を棚にあげたり、人の心を縛ることなど決してできない。ということを意識しての言葉だっただろうか?
その人が、相手に対して常に『誠実』だったと言えるだろうか?
そのことに考えが至らぬままに・・・。
誰かが『人も気持ちが分かる人になってください』というとき、その人は、その言葉を発した相手の気持ちを分かっているのか、分かろうとしているのか、そのことを問いかけて欲しいと思います。
逆説的に言えば、「(気持ちが) 分かるよ」って言葉は、余程の覚悟がなければ言えない言葉です。
ということは逆もまた真なり、『人も気持ちが分かる人になってください』だって余程の覚悟がなければ発せられない言葉のはず。
彼にその言葉を発する資格はあるだろうか?
平たく言えば、お前に人の気持ちなんてわかりゃしないよ。
下手なのは釣りだけじゃないんだねw
ってコトです。(アッーーーー!!
どれだけ言葉を尽くしても、人の心は離れるときは離れる。
なぜなら、人は言葉ではなく、行動を見ているから。
某アニメじゃないけど
「人は革命のために戦うのではない。革命を唱えた人のために戦う」
の通り、人は人に従うのであって、理念や理想、突き詰めれば言葉に従うのではない。
だから、言葉で人の心を縛ろうとする行為は最も愚かにして、物事を知らない愚かな行為。
人の心って、究極的な意味で自由なんだよ。
そしてそれは同時に、極めて利己的ってことを意味してるんだけど・・・・
どうしようもない生き物なんだよ。人って生き物は・・・。
それを知ってか知らずか、洋の東西問わず、宗教がそこに制約を掛けたんだけどね・・・・
前提が間違っている状態で制約を掛けても悲劇しか生まないわけで・・・・
例えば、極めて例外的な例としてヘンリー8世w (笑える人はお友達になれそう^^)
究極的な意味で、宗教でさえも、自由を求める人々の欲求には敵わないということで・・・
あれ?
何の話だったっけ?
まぁ、いいやーーーw
おいらは個人的に、こっちの方が好みだね。
「Hallelujah - Cover by Lucy Thomas」は下品。
これ、結構残酷な歌だお^^
おっと、この日記を読んで孤独に苛まれた人には、この曲をお勧めしよう。
にゃぁは孤独こそ、居心地がいいです。
そんな事より、5万ガチャで勝てないんですが、誰か呪ってますか?
悪霊退散w