
以下、ほとんどすべての人には意味のない文章です。
現時点のおいらの心情として、書き残しておきます。
以下についてのコメントは求めません。
感の鋭い人なら、コメントすべき人はおいらではなく、その人であることを察し、その人にコメントしてくれるでしょう。
大上段からの、挑発的な言葉で、謎かけみたいなことしてごめんね。
申し訳ない。
生きて 生きて 生きて・・・
生きて・・・かぁ・・・。
死を覚悟した人に、『生きて』というほど空虚にして、無責任な言葉はないだろう。
鬱の人に『頑張って』というのがタブーであるように、それは・・・、たぶん、苦しめるだけだろう・・・と思う。
鬼塚のこの歌は、たぶん主客逆転してて、『生きて』と言ってるのは自身なんだろうと思う。
言葉というモノは、死を覚悟した人には無力で、そして空虚に過ぎる。
小説や物語のようにはいかないよね。
言葉は時に、同じ言葉だったとしても人を救うコトもあるが、傷つけることもある。
その違いは多分・・・
正しいかどうかわからないけど、おいらは、本人の意思を尊重することしかできない。
本人が永遠の解放を望んでいることを知るが故に・・・。
多分、同じ立場なら、おいらも解放を望むであろうことが分かっているから・・・。
ミコちゃんと出会えることを、祈るしかできない。
でも、手を放していいの?
本人の意思に任せていいの?
わからない
なぜなら・・・