前回の日記では
ある出来事が起こったとき 心のもちかたで とらえ方が違う ということでした
人に意見を聞く前に 自分の意見を言っておくべきでした 反省
というわけで 後だしジャンケンみたいですが
私がどうだったか言っておきましょう
こういう場面に遭遇したとき 私の心の中は 多分
一の「私が帰ってくることを 喜ばしく思っていないな」
と 反応したことでしょう
生まれつき 物事を悲観的にとらえる性格だから
ここで 話は 突然 変わります あはは
キリストの言葉に
「右の頬を殴られたら 左の頬を差し出せ」
というのがあるのを ご存じでしょう
この言葉 なんか変ですよね これ 信じている人いるのかなあ
やられっぱなしですよ
現に ウクライナだって ロシアからやられて 反撃しているじゃないですか
「目には目を 歯には歯を」という言葉だってあります
では なぜ こんな言葉が聖書に書かれているのでしょう
私が思うに 中二病的発想ですが
この言葉には 深遠な精神世界の神秘が秘められているのです あはは
一言でいえば「ゆるす」ということではないかと 私は おぼろげに解釈しています
また突然 話は 元にもどりますが
この「ゆるす」を前の日記の出来事にあたはめてみましょう
夫がどう思っているか わからないけれど
私が奥さんなら「私が帰ってくることを 喜ばしく思っていないな」と反応したでしょう
それは言いました
ここで 私が でも ゆるしてあげよう 夫には 何か事情があったのだろうと思えば
心の中の疑惑は晴れ ことはうまく進むでしょう
そう単純かな あはは
さて
でも このような日常の些細なことは いいとして
ウクライナはどうするの 人が死んでる
ううん キリストはロシアにも「ゆるす」を要求すると思います
ウクライナが たとえNATOに加盟したとしても
そうやって 相互に「ゆるす」が作用すれば
この世に天国が降臨すると思っていた かな キリストは あはは
そろそろ私の思考回路の限界にたっしそうなので ここまで
では 天国が降臨した世界で またお会いしましょう