https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2202/07/news047.html
VCケンウッドが2月1日、2022年3月期 第3四半期の決算説明資料を公開した。それによれば、民生用ビデオカメラの生産は2021年10月に終了しており、そのリソースを別の成長事業へシフトしていくという。
まだやってたのか、と思われた方も多いと思う。確かに昨今、他社も含めビデオカメラの新製品が出ていないため、とっくに事業終了したと思っているかたも多いと思うが、新製品を出していないから事業が終わっているわけではない。旧製品を製造して出荷し続けている限りは、企業にとっては事業終了ではないのだ。
したがってJVCケンウッドの生産終了は、在庫があれば最後まで出荷はするだろうが、なくなり次第事業終了と受け止めていいだろう。
民生用ビデオカメラは、日本が圧倒的大差で世界をリードした分野だった。国内の家電メーカーは、ほとんどビデオカメラに参入した。パッと思いつくだけでもソニー、パナソニック、キヤノン、JVCケンウッドはかたいところだが、シャープ、日立製作所、東芝、三菱電機、三洋電機も過去に製品があった。
ビデオカメラは、アナログからデジタルへ、テープからディスクへ、ディスクからメモリへと、スチルカメラ以上に記録フォーマットの歴史そのものをなぞって成長してきた。今回はビデオカメラ発展と衰退までの流れをまとめてみたい。
アナログ時代
民生用ビデオカメラをさかのぼると、Uマチックに行き当たる。
Uマチックはソニー、松下電器産業(当時)、日本ビクター(当時)の3社で規格化されたもので、カメラ部とデッキ部が別々だった。製品発売は1971年とされているが、その後放送業界で大幅に導入が進み、報道においてENG(Electric
News Gathering)という革命を起こした。今では当たり前のビデオ取材だが、それ以前はニュースでも16mmフィルム取材が主力だった。
その後、コンシューマー分野ではテープデッキとして「ベータマックス vs. VHS戦争」が起こったが、ビデオカメラでは「8mmビデオ
vs.
VHS-C戦争」だった。ソニーがVHSよりも小型なベータカセットを記録媒体に使ったムービーカメラをヒットさせると、ビクターがVHSを小型にしてアダプターでの互換性を持たせたVHS-Cを投入した。ベータ
vs. VHS戦争がムービーカメラでも起こったわけだが、ソニーなどのベータ陣営は、さらに小型な8mmビデオで対抗するという展開になった。
放送業界でも、「ベータ vs.
VHS戦争」があったのはご存じない方も多いだろう。1984年ごろ、ENG用カメラシステムとして、ソニーが押す「ベータカム」と、松下電器とNHK技術研究所が共同開発した「M」の対決が起こった。テープサイズがまさにベータとVHSだったわけだが、1年程度でベータマックス優位で決着した。なお「M」はその後改良した新フォーマット「M
II」へ進化し、NHKには大量導入された。
8mmビデオ vs. VHS-Cは、1989年のソニー「CCD-TR55」が「パスポートサイズ」として大ヒットしたことで、決着が付いた。パスポートサイズとはいっても、当時のパスポートは今のより大型である。また縦横はパスポートと同じサイズだが、厚みは相当あった。
8mmおよび後のHi-8は、据え置き型デッキとしては普及しなかった。今の感覚では、テレビにつながれているデッキでテープが再生できないと不便だろうと思われるかもしれないが、当時はカメラそのものをテレビにつなぐのが主流で、メディアを取り出して別機器で再生という利便性にはまだ世の中が追い付かなかった。
デジタル化の始まり
ビデオカメラがデジタル化されたのは、1995年のことである。規格乱立の反省から、各メーカーからなる協議会を経て規格化されたDV(MiniDV)フォーマットは、多くのメーカーが1フォーマットの下、しのぎを削ることとなった。
中でもエポックメイキングだったのが、日本ビクター(当時)のポケットムービー「GR-DV1」だろう。小型化もさることながら、液晶モニターをあきらめてビューファインダーだけのフラットボディー化という割り切りで、一世を風靡した。以降DVカメラは、大型の高画質モデルと、コンパクトモデルに分かれていった。
コンシューマーでは1フォーマットだったが、業務用の世界ではソニーと松下電器の因縁の戦いは続いていた。放送業界はベータカムのデジタル版として「デジタルベータカム」へ移行していったが、業務クラスではDVフォーマットをベースに、ソニーは「DVCAM」を、松下電器は「DVCPro」を開発、ケーブルテレビやCS放送局などに導入されていった。
DVフォーマットはIEEE1394(FireWire、i.Link)インタフェースと互換性があったため、コンシューマーでもPCへ取り込んでノンリニア編集という流れが出来上がっていった。
ノンリニア編集自体はそれ以前からAvidやMedia100といったシステムがあったが、当時は1システム500万円ぐらいしたので、それが市販のPCでできるというのは大きなインパクトだった。
DVカメラの時代はそこそこ長く続いたので、面白いカメラがたくさん出た。キヤノンは1998年という早い段階から、EFマウントのレンズが使える「XL1」を登場させている。
また、ビデオ解像度を遥かに超える高解像度センサーを搭載し、デジカメ並みの写真を撮るという「写真DV」というコンセプトを打ち出していった。今のデジカメが「写真も動画も」であるのは、この辺りが原点である。
2001年にはソニーが新テープ規格「MICROMV」をスタートさせた。合計3モデルほど出たはずだが、これは普及せずに終わっている。
2002年には松下電器が、DVフォーマットながら24p撮影、CINE-LIKEガンマ搭載という「AG-DVX100」を登場させた。ビデオカメラでシネマ風という道筋を付けたカメラである。もともとは2001年に、DVCProのテープ記録ながらバリアブルフレームレートが撮影できるという「Varicam」こと「AJ-HDC27V」および「AJ-HDC27F」を開発している。Varicamは以降メモリ記録でシリーズ化して、デジタルシネマカメラへの足がかりとなった。
ハイビジョン化と記録フォーマットの乱立
ハイビジョン放送がスタートしたのは2000年。それに先立って放送機器クラスでは、すでにカメラはハイビジョン化されていた。
コンシューマーでは、2003年にはDVフォーマットを拡張したHDVフォーマットが登場した。製品で先行したのは日本ビクター「GR-HD1」で、720pではあるものの、製品化1番乗りを果たした。ただ主力は日本の放送フォーマットで採用された1080iで、どちらかといえば翌2004年に発売されたソニー「HDR-FX1」の方が記憶に残る方も多いだろう。
2000年辺りで記録フォーマット革命が起こる。時系列がまた前後してしまうが、メモリカードに動画を記録するというコンセプトは、デジカメ文脈では1999年頃から始まった。ビデオカメラ文脈では同年のシャープ「インターネットビューカム」こと「VN-EZ1」があった。これはスマートメディアに記録するものだった。
2002年には松下電器が「D-Snap」という名称で、SDカードに記録するMP4カメラを登場させた。これはどちらかというと「SDカード
vs.
メモリースティック戦争」の産物であるが、翌2003年の三洋Xacti初号機の登場で、動画をメモリカードに撮るのが「安かろう悪かろう」ではなくなっていった感がある。
パソコン史に詳しい方なら、2000年頃からパソコンでもDVDライティングブームが起こり、「DVD-RAM vs. DVD-R/RW vs. DVD+R/RW戦争」が勃発したのはご記憶だろう。
この流れはビデオカメラにも及び、2003年には日立が8cmDVD-RAM/Rに記録する「DVDCAM」を登場させ、人気を博した。松下電器にも製品があったが、これは同じDVD-RAM派である日立からのOEMであったはずである。
一方でDVD-R/RW派では、ソニーとキヤノンが8cmDVD-R/RW記録の製品で対抗した。ソニーはレコーダーではDVD+R/RW派だったのだが、ビデオカメラではDVD-R/RWが採用されるなど、社内で割れる結果となった。
2004年にはHDDに記録するビデオカメラとして、ビクターが「Everio」の初号機を登場させた。小型HDD搭載ということで、2005年には東芝も「GigaShot」でビデオカメラ業界に参入したが、離脱も早かったので、これはご存じない方も多いかもしれない。
ここまでは、SD記録の話である。2006年には、ソニーと松下電器が共同で、DVDにHDを記録する「AVCHD」規格をスタートさせた。
ビデオカメラのHD化は期待されているものの、いつまでもテープ記録ではないだろうということ、Blu-rayドライブを小型・低価格化してカメラに積むのはまだ時間がかかるといったことが、その背景にあった。コーデックがMPEG4なことや、ファイルストラクチャ構造などはBlu-rayと同じなど、Blu-rayの技術を転用したことで、すばやい展開が可能だった。
同年にはDVD型、HDD型、メモリカード型のビデオカメラが2社から出揃った。その陰でシャープは、DVの「液晶ビューカム」を出していたが、今後の展開が望めないとして2006年に生産終了、ビデオカメラから撤退している。
2007年はさまざまな思惑が入り乱れた。
キヤノンはAVCHDに賛同。ビクターや三洋はこのフォーマットには乗らず、シンプルにMPEG2やMPEG4でHD記録する方法を選んだ。日立は2007年に世界初の8cm
Blu-ray記録のBDCAM「DZ-BD7H」を登場させた。一方東芝はHDD記録の「GSC-A100F」でHD化を果たしたが、ファイルストラクチャがHD
DVD互換という、「Blu-ray vs. HD-DVD戦争」に巻き込まれた格好になった。
デジタルカメラによる動画撮影は、それまでオマケ機能のような格好で搭載されてきたが、2008年にキヤノン「EOS 5D Mark II」が1080/30p撮影をサポートしたことで、流れが変わってきた。
当時はライブビューをそのまま動画に保存する程度でしかなく、基本的にオートでしか撮れなかったのだが、それでもテレビ業界でどんどん採用され始めた。フルサイズセンサーによる被写界深度やEFレンズの性能が、これまでのビデオの絵とは一線を画した。
もちろん、2008年以降もビデオカメラは製品が投入され続けた。同年発売のソニー「HDR-XR500V/520V」は、民生用ビデオカメラとしては初めてGPSを搭載したカメラである。
だが多くの人の関心は、デジタルカメラに移っていった。ビデオカメラはどうしても活躍の場が運動会学芸会など用途が限られるのに対し、デジタルカメラは写真が中心であるため、あらゆる場面での活用が想定できる。
ここである意味コンシューマー動画は、「成長記録」のためではなく、「アート」へ転換したのである。
そして成長記録フィールドは、その後スマートフォンに吸収されていくことになる。奇しくも2008年、日本で初めてのiPhone「iPhone 3G」が発売されている。それ以降のスマートフォン市場の成長は、よくご承知かと思う。
ビデオカメラに引導を渡した製品は、あと2つある。1つは2010年発売の、パナソニック「DMC-GH2」だ。
ミラーレスという構造は、ミラーがないため常時光がセンサーに当たり、ライブビュー状態にある。これはビデオカメラと同じ仕組みであり、ミラーアップして動画を撮るために別モードが必要な一眼レフと違い、圧倒的に動画向きなのである。以降GHシリーズは、写真ではなく、ほぼビデオカメラとして受け入れられることとなる。
途中3Dブームを挟むが、ビデオカメラにとっては順風とはならなかった。そして引導を渡したもう1つのカメラが、2014年発売のソニー「α7S」だ。
最高ISO感度40万9600という高感度は、フルサイズの面積に対して画素数を減らしてピクセルサイズを上げたから実現できた。デジタルシネマ用カメラならフルサイズはありだが、コンシューマー機ではない。つまり民生用ビデオカメラでは不可能な到達点だった。
2019年にキヤノンが、コンシューマービデオカメラ「iVIS」シリーズの販売終了をアナウンスした。ソニーのハンディカムシリーズは、2018年を最後に新製品がないが、業務用のPXWシリーズやシネアルタのFX6、FX3はコンシューマー市場で販売されており、「上へ逃げた」格好だ。また2021年には「FDR-AX45」の受注を再開しており、新製品はないが製造・販売は止めていない状態にある。
残るはパナソニックだが、2021年11月にもマイナーチェンジモデルを2つ投入しており、最後の需要を取り込んでいる格好だ。
民生用ビデオカメラの技術は死んだわけではなく、アクションカメラやドライブレコーダー、ヘッドが回転するPTZカメラといったものに変わっている。需要がなくなったのは「専用機としての市場」だけで、そもそもの用途はデジタルカメラとスマートフォンに吸収された。
明確に撤退というのではなく、各社がフェードアウトのように去っていっているのは、そうした理由からだろう。考えてみればプラットフォームとしては約50年も続いたわけで、しかも業務用機ではまだまだ需要が残っている。
今後は、ビデオカメラを知らない子供たちが出てくることだろう。だが動画文化は、今もなお発展し続けている。