兄の日記より(原文まま)
『昨日20日は、あのいまわしき事件が発生した日だった。
当時わたくしは、東京都内の某パン製造工場にて夜勤のアルバイト明けに自室のテレビをみたところ、霞ヶ関駅周辺の様子がヘリコプターからの上空より空撮された映像が目に飛び込んできてビックリしたものだった。
当時ヤサ(言葉がきたなくてごめんなさいね)に最寄駅であった地下鉄丸の内線「新中野」駅から一駅新宿寄りの「中野坂上」駅でもあの恐怖の元凶となった液体が、まかれたとのこと。
なぜかいてもたってもいられずに新中野駅へととびだした。青梅街道は「鍋や横丁交差点」から新宿方面が全面通行止めの非常警戒態勢だった。後に中野坂上駅で駅員さんが一名犠牲になったことを知り、(もし、職場が以前の銀座のままであれば、自分も地下鉄丸の内線を利用しており、ひょっとしたら犠牲者になったかもしれない。しかも隣駅で死亡者がでた)という恐怖感、そしてかつての沿線住人として他人事ではないと感じている。
あれから16年の歳月がながれたのだ。しかし、かつてない凶悪な犯行を許すまじ。
当時、犠牲になられた方々へ哀悼の意を表します。そしてPTSDに悩まされている被害者の方々へ、こころからお見舞い申し上げます。』
当時、ファビ中身は川崎市宮前区に在住でした。「田園都市線」を利用して職場は渋谷でした。(もし、あのキ●ガイ殺人集団が同線を標的にしていたら)と考えるとゾッとします。
ほんとうに犠牲になられた方々へ黙祷をささげたいです。そして、今なお、あの恐怖になやむ方々へつつしんでおみまい申し上げます。