夏休みの終わりとともに、夏が過ぎ去っていくのを感じた子供時代と違い、年を重ねるに従い、季節感が遠のいて行きます。
楽しすぎる夏休みは、終わってみるとどこか寂しく、侘しさを抱えながら終焉したように思います。
友達との再会は嬉しいものの、夏の終わりは確かに感じたものです。
現在との環境との違いはあれど、風情を失った現実を思い、毎年違った意味で侘しさにとりつかれるのが、この季節。
さて新学期という、新たな季節への切り換えも鈍ってしまっています。
この時期になると、いつも1通の手紙が届きます。いや、届いていました。今では数年に1度となってしまいましたが、父親からのものです。
「チチは今、北海道に来ている。」とか「チチは鹿児島だ。」と始まり、
「一緒に旅をしよう!」で終わるもの。
私の父は、私が10歳の頃に亡くなりました。
思えば、記憶がほとんどないのです。
ほとんど旅に出て、財産を食いつぶして亡くなった人、というイメージです。
たまに家に帰れば、山に連れて行かれ、木を殴って修行。おかげで私の拳はタコだらけ。
どういう仕掛けなのか、亡くなってからというもの夏休みの終わりには毎年、私たち兄弟宛てに、下手くそなごっつい字が届きました。
笑ってしまうのは、10年も経ってからも、近所の店はどうの、酒屋のおっさんはくたばったか?とか未来予想まるでなし。
私がアホなのも、こいつか!と絶対にこいつのせいや!と思えてきます。
大きな思い出としては、大きな世界地図を買ってくれたこと。
時を経て、私の部屋に貼ってある世界地図は代替わりしましたが、これだけは私の大事な部屋の風景となっています。
子供の頃に比べて感受性はとことん鈍くなりました。しかし、変わりに反芻する楽しみが出来ました。
世界地図を眺めながら反芻旅行。
8月の思い出を反芻しながら、夏の夜を過ごします。
「自分を決めつけるな!人を決め付けるな!世の中おもろいで。」
20歳に貰った手紙です。
おかげで、世の中おもろく生きさせてもらっています。