私の譲れないこだわり
こだわりとは「拘り」 書き、何かに拘泥し、自分を縛るもののように感じます。
もう少し、高尚なというか、きざったらしくいうならば「私の矜持」とでもいい替えてみましょうか^^
学生の頃、私は自分が正しいという思うことに対しては文字通り拘り、友人にもそれじゃ友達なくすぞとか言われておりました。
それが変化したのは、私は大人になる前、19歳の春に中国へ約1ヶ月の留学をしたときのことです。
中国での1ヶ月の生活の中で
果てしなく続く万里の長城にのぼり空を見上げた時
紫禁城の皇帝の間で悠久の歴史の息吹を感じた時
大同の石窟で、長き祈りを目にした時
自分って小さいなぁって
心のそこから・・実感し、私は新しい矜持を手に入れました。
「自分が今こだわっていること・・・・そんなに大事なのかい?」と常に問いかけること
そうすると、大抵のことはたいしたことでないことに気づきます^^
相手を傷つけてまで、自分を通ることにそれほどの意義があるとは思えないのです。
俺はかならず、納豆巻きから喰うんだ!とかいう高尚なこだわりはいくらでも結構だと思います。
ただ、得てして「俺のこだわりは・・・」という人に限って、それに自身が縛られ、そして他を傷つけていることに気づかないものなのです。
このような内容ですので、いつもの漫画も、この趣旨からはずれないような、漫画になるように気をつけました(って・・今思いついた)

あなたは、別にだれもほしがらないような「こだわり」に縛られてませんか?