私は刹那に生きているので、さっきあったことまでポンこらポンこら忘れます。にわとり並みの頭脳なので3歩も歩けば十分記憶にない。
でも、こんな私でも人を覚えるのだけは人並みに自信があります。
一度に100人覚えろと言われれば、おそらく簡単に覚えることができるでしょう。限度は170人までですけど。
漂泊の多かった私の生活ならば、実は当たり前のことなんです。
忘れえぬ人は大勢います。だから書けません。
あえて書くならば、私が人を記憶する力が備わったきっかけを。
10代のころの私は、外国しか見ていませんでした。気ままな私には日本は窮屈すぎて何の興味もなかった。
高校を卒業し東京へ出てひと月後、先輩に寝込みを襲われインドネシアへと拉致されました。
ジャカルタの思い出は一切ありません。昼間は寝て、夜ごそごそと飲みに行くだけ。
飲みながら先輩に、
「日本、歩いたか~?」と言われました。
「東京は全国から集まるやろ。各村々まではしょうがないけど、せめて県だけは知っときたいよな。俺は和歌山やけど、ちょっとだけでも知っててくれると嬉しいもん」
諭すでもなくぼそっと。それは、「俺、知らん」ていうのは人に対して失礼やぞ!という言葉でした。
日本を歩きました。駅に着くや居酒屋へ駆け込み地元の人と飲みました。腹が立ったら揉めたおし、気が合えばパンツを下してドンチャン騒ぎ。もちろん一面しか見てませんが、言葉は伝わってくる。
今の私の部署は不良部署です。喧嘩したり、いじめられたりしたのが私に押し付けられる。でもアホでも、このメンバーは人を大事にします。覚えの悪い奴は、名刺にしゃべった内容まで書き込み覚えます。
今では私は説教ばかりされている立場です。
2日に一度はノルマのように街で暴れていた私に、先輩の思いやりに救われました。
ちなみに、その先輩は、卒業と同時に写真家とともにアフリカへと旅立つ予定でした。しかし、
「俺、結婚する」と言って、急きょ証券会社の内定をもらいます。
でも、さらにしかしです。
「俺、料理人に向いているみたい」と言って、卒業と同時に料理屋へ弟子入り。
数年後、連絡がありました。
「俺はやっぱり詩人やで!」
詩を書き始めました。
つきおうとれません。
でも、生きざまはすっごい詩人だと思います。
あっ!忘れてました。
私はこの人のせいで2年も留年することになったんや~!
もう、お互い年もとったことだし、不幸のなすりつけあいせなあきませんなぁ!!