夕刊の一面、本の広告欄に「カネを積まれても使いたくない日本語」というのが目につきました。
発売即重版!らしく、脚本家の内館牧子が卸したものらしいです。
一体、何を書いているのか気になります。
日本語の変わり果てた姿に嘆く人は大勢いましょう。
私の周りにも、自分のアホを棚に上げて偉そうに語るおっさんがいるくらいです。そしてきっちりと「ら」抜き言葉を当たり前に使っているのです。
言葉はしょせん手段としか思っていない私には、言葉の変容こそ当然のことです。
しかし脚本家があえて書くとなれば・・・・・・
芝居を書くのであれば、現代言葉も必要でしょう。若者言葉に注文付けているようには考えられません。気になります。
買う値打はなさそうだから立ち読みくらいはしておかないといけないか!
実は私も言葉の変容は享受できるのですが、やはり不快な言葉というものはあります。
たとえば大阪ことば。これは全体を指すものではありません。
元来、大阪弁は柔らかい優しい言葉だと思うのです。いつの間にかガラの悪さが目立ってきて変容してきたように感じます。私が会社で暴れなあかん気持ちも分かってもらえると思います。
そして、一番嫌いなのが、社名への「さん」付け。
会話の中だけなら何とも思いません。しかし近頃じゃ、平気で文書にも「様」をつけているのには呆れます。
社名なんかあげへつらってどないしたいの?隷属的な性格がここまで卑屈にさせたか?と心配です。
と言っても、今じゃ当たり前のことと浸透してしまっているのでしょう。
日本人らしいといえばらしいですが。
私の新入社員時代、「敬うべきは人にある!」とこれでよく殴られていました。(私じゃない人が)
業種によっても当たり前の感覚は違います。だから、批判はせん!けど嫌だなぁ。
言葉の変容は、これからも楽しみたいと思います。他国語に比べて日本語は、言葉遊びにも広がりがあって可能性を感じます。
ここまで書いて、急に思い出しました。
今日も、内緒話と言っていたことがすでにつつぬけになっていました。
おばちゃん恐るべし!
しゃべりたい口も日本人らしいことなんでしょうか?
密談について考えてみたいと思います。