
1717年(享保2年)、41歳の時
に将軍・徳川吉宗によって江戸南町奉行に任命されます。
町奉行の平均就任年齢が60歳程と言われていたので、
忠相は大変優秀だったのでしょう。
奉行の主な仕事は裁判、警察、行政など幅広かったため、
大変な激務で在職中の死亡率は他の役職に比べ、
飛び抜けて高かったそうです。
忠相は、そんな激務な町奉行を
41歳~60歳までの19年間もこなしたのです。
そして以下のような改革もしました。
改革前
① 罪を犯すと家族や一族まで処分
② 当然のように行われていた拷問
③ 耳そぎ刑、鼻そぎ刑 耳そぎ刑
④ 遠島刑、追放刑
改革後
① 家族や一族も処分する『連座制』を廃止
② 冤罪防止のため拷問を重罪者のみに制限
③ 鼻そぎ刑を廃止し入れ墨刑へ
④ 遠島刑、追放刑を制限し罰金刑へ
このような改革に庶民は喜びます。