
我が国における砂糖の歴史は古く、鑑真和上が伝えたという説があります。
しかし、遣唐使によって中国からもたらされたものと考えるのが多数説です。
日本における砂糖の最初の記録は、「正倉院」献納目録の「種々薬帖」の中に「蔗糖二斤一二両三分并椀」の記
録があります(825年)。
当時は大変な貴重品であったため、ごく一部の上流階級が使えるぐらいでした。
それも食用ではなく、むしろ薬用でした。砂糖が薬だったなんて今では信じられない話ですね。
その後、鎌倉時代末頃から大陸貿易が盛んになり、砂糖の輸入も増加しました。
1543年にポルトガル人が種子島に上陸し、砂糖を原料としたカステラ、コンペイトウなどの南蛮菓子をもたらし
ましたが、
当時の大陸貿易の品目の中では生糸、絹織物、綿織物に次ぐ重要輸入品が砂糖でした。
この金平糖を好きだったのが信長だったそうで。
日本での砂糖の製造は江戸時代の初期、当時の琉球(沖縄県)でした。
1623年に琉球の儀間真常が中国に使いを出し、砂糖の製造方法を学ばせ黒糖を製造したと言われています。
その後、琉球をはじめ奄美大島、喜界島、徳之島おいても、さとうきびは製造増産され、管轄していた薩摩藩に
莫大な収益をもたらしました。
当時は鎖国状態であったため、貿易の窓口である長崎の出島に限定して陸揚げされた砂糖のほとんどが、
中央市場である大阪の問屋(当初は薬種問屋のちに砂糖問屋)へ運ばれ、そこから江戸や諸国の問屋へ出荷され
ていきました。
一方、砂糖の代金として金・銀・銅が国外へ流出することについて幕府も危惧するようになり、
1715年に幕府は輸入制限を行うと供に、砂糖の国産化の方針を打ち出し
サトウキビの作付けを全国に奨励します。江戸時代の中期以降、
さとうきび栽培は、西南日本の気候温暖な地域において積極的に取り入れられ
「和糖業」として広まっていきました。1798年に讃岐(香川県)の砂糖(和三盆)が始めて大阪の中央市場に登
場します。
つまり、砂糖が一般的になるまでは、和菓子は甘くなかったんですよね。