最近硬くなりがちな、「GAからのお願い」今回めいっぱい硬くなっちゃいそうな予感^^;
以前好きな言葉、だったかな? 似たようなことを書いた気もしますが、自分にとって大事な言葉は、「エデンの東」に出てきたティムシェル(timshel)という言葉。
この小説は題名の通り、旧約聖書に出てくるエデンの園を追われたアダムとその2人の子供の原罪にまつわる話を、スタインベックが彼の解釈を作品にしたものと言えると思っています。彼は、小説の中で聖書自体が原版のヘブライ語を約した書物だから、原版の言葉が何を意味していたかを訳す際に解釈している、だから、本来の意味と変わっていると言います。
私が読んだのは、早川文庫版、当然私なりの解釈がそこにはありますので、私の受け取り方でしかありませんが、私が受け取ったものは分かりやすく書けばこんな感じ、「何をどう行動するか、人は自分で決めることが出来る。当然そこには決めた責任があるし、罪は誰かに許しを請うものではない」。(これが正解だなんて言うつもりはありません、でもこれは私の逃げかもですね^^;)自由の国アメリカらしい答えだなと思いながらも、すごく希望に満ちた、しかしすごく厳しい言葉だと思いました。




作中では、悪の心を持たないアダムもその長男もすごく弱い、逆に悪の心ばかりに見えるキャシーは結局何がしたかったの?というような最期を迎えています。
ずいぶん時が経ってですが、オウムの事件があった時、様々な罪に問われた幹部たち、私には、悪いことが出来ない人たちだからこその怖さのように映ったことを憶えています。
悪いことが出来るというのって、大事なんじゃないかなって思っています。ただその気持ちのままに行動するのではなくその気持ちを受け止めて、どうするかは自分で決める。
ただまあ、こんなに硬く考えること自体がもうすでに良くないのかもって思いもありますけどね^^
色々難しいです。