人類がまだ採取生活だったころ
みんなは 今日の食料を探して 大地の上をうろついていた
そのころ 今日の食い分を探すのは大変だった
運よく 今日の食い分にありつけた者は
食後 満腹になって 安心した気分で昼寝をしていただろう
そんな中
ある人物 A がいた
A は考えた もし 明日 雨で 食い分にありつけないことになったら 大変だ
満腹でねむたいが 頑張って 明日の分も探しておこう
A は 仲間たちが寝てるのに わき目も振らず
せっせと 明日の分を探した
やっと手に入れた頃には 日もとっぷりと暮れ ねぐらに帰って寝るしかなかった
しかし 明日になってみると いい天気で 昨日の努力は無駄だった
だが A の手元には 1日分の食料が残った
こういうことを繰り返しているうちに
A の手元には 何日分もの食料の貯えができた
時には 食い分にありつけなかった者が 食料を借りにくることもあった
こうやって 自然と貧富の差が生じっていったのだろう あはは
だが 忘れてはいけない A は努力家であった点は 賞賛されるべきであろうが
もし 食料が有限であったなら 昼寝をしていた B が 明日 取るはずの食料を
先に A が独り占めにしたことになる
さて これと同じことが 現代でも起きていないか
一人の人間が 努力して 巨万の富を得たとする
果たして これは賞賛されるべきことなのだろうか
富むものが生まれれば また 貧しきものも生まれる
富を生み出す源泉は無限ではないのだから
太陽の光 大地 空気 水 ・・・
すべての富は ここに起源がある とぼくは思っている