昨夜、日記をかいたつもりでいたのですが、よくよく思い出したら、パスワードを打ち込みインストールしたまま放置していました。
つもりでいるくらいだから、私の日記はしょせんそんなもの。書いた本人が昨日のことも覚えていないのです。その日、その時、その場限りでいい加減なことこの上ない。
つもりから積もるものもたまには残していきたいと思うのです。
少し長くなるので、ここでゲームに戻るなりマイページ活動に専念することをお勧めします。
私にとって大きな痛手はMILU日記が書けないことです。
ゲームに入り、空を見上げて周りをぐるりと見渡す。のっそりと歩いて、放置して他の用事を済ませます。重たそうに海べりに近づいて、とにかく竿を投げます。待機時間がもったいないので、お茶の用意をしているうちに魚を逃がしていたりするんです、これが。
はははは・・・・・・・・。何がおもろいの?
こうした事情から、記憶にも残らないその場しのぎをしてきたわけです。
なんとかこのマンネリを打破しようとは以前にも考えたことがあります。
今では消息も分からない古いMILU友ですが、旅ブログを書いているお金持ちのお嬢さんがいます。長期休暇には海外へ行き、旅の思い出を綴っているらしいのです。羨ましい限りです。
「グラーツさんも旅日記書いてよ」と彼女は何を勘違いしたか、私のことを旅慣れていると思っていたみたいです。
でも、いい機会だから挑戦しようと思いました。たしかに旅はしている。
この列車の向こうには何があるの~♪
気合十分に臨んだのですが、挫折するのに時間はかかりませんでした。
何から書こうかと?と贅沢な悩みなどじゃなく、なんにもない無為な日々から何を紡げというのか?
私の旅はMILUのグラーツ君と同じです。
何日も山野を彷徨い、荒野で落ちてもない小銭探してうろついただけです。見上げたら浮かぶ千切れ雲を友に、思考の確認のためにも大声で叫び歌うのです。
何が楽しいの?
たしかに、暗い森の中、時折見せる光の演出に心洗われもします。見渡せば、舞い上がる砂塵しかない中で、風のゆらめきに万物に宿り給う神を感じることもありました。(うそ)
ひもじさしか伝えられぬ旅日記など値打ちない。
呆れられるのは慣れっこでも、変質者と思われるのがわたしゃ恐い。自分で書きながらも重々怪しさしか感じられません。
そろそろ釣りに戻ってくださいね。
今年初め、オーストリアの友人が、フェイスブックの私の名前を見つけ出してメッセージをくれました。24年ぶりの再会です。
そうでした。ヨーロッパなら旅話っぽくなるかもしれない。
念押ししておきます、あくまで、っぽくです。せっかく転がり込めたヨーロッパも、2週間後には山で樵です。せっかく街に出ても1週間遊べば、ホテルに駆け込み「雇ってください」です。国を変えても、「ぼく日本に帰りたい。お金がないの」と泣き落としの日々では、期待されるものはおそらく何もありません。
しかしです。ヨーロッパなんです。街を歩けば歴史的なものにあふれています。列車の車窓からも、まさに絵葉書。看板一つでも無理やり話を引っ張れる魅力がヨーロッパなんです。
帰国後も自慢しまくりました。
「ミラノ大聖堂は?」
「ローテンブルグに行ってみたーい」
「サグラダファミリア、モナコはどう?」と痛い所をついてくる奴らが大勢ながら、
「ミラノの路地裏で大小博打があって1週間通ったなぁ。メルヘン街道のスタートの街は注射針がいっぱい転がってて、バルセロナはどつかれて身ぐるみ剥がれた日本人を世話してくれる部屋があった。どんどん盗まれなさい。南フランスでぶどう盗んだら、渋くてすっぱかった」
さすがはヨーロッパ。厳しい問いにも凌げます。
ええ加減、こんな日記は相手にせん方がいいと思いますよ。釣ってください。
ひたすら歩いただけの私の旅。
タイトルは歩いた距離ではなくて、1990年。
やっと、やっと子供のころから憧れ続けたウィーンに辿りついた年です。
いろいろなことがあった年です。
イラクのクウェート侵攻。
ヨーロッパの市場統合が進む中、ベルリンの壁崩壊。
オーストリアの南のユーゴスラビアでは内戦が勃発。
ヨーロッパ全体が大きく動いた時代でした。
実は、当時、一切日記も記録も残していないんです。
荒野の行きずりは、あまりに暇で、持っている本に書き込んだりもしたのですが、楽しいと一切どうでもよくなるもんです。
写真一枚残していません。
あやふやな私の記憶で、ほんの少しの間、旅話っポイものを積んでいこうかと思います。
明らかに自己満足です。忘れないために記憶の反芻です。
私に出会ったために不幸を余儀なくされた我が同僚やコンビニの兄ちゃんは登場しません。