機内で隣だった女の子は、ベネチアでイタリア語を勉強しに行くと言っていました。飛行機を降りて、一緒に一泊してチューリヒ観光しようと誘われたのですが、私はその日のうちにオーストリアへたどり着きたかったのです。
そんなに急ぎながら、なぜかウィーンへ着くのは、それから3か月後です。
インスブルックへ向かう列車の中、迫りくる山々。イモリのように窓に張り付いて目を輝かせました。ちょうど暮れゆく時間帯。一層、険しく大きく覆いかぶさり、いつまでも眺めていました。
この憧憬忘れられず、後に3週間ほど徘徊することになるのですが、その時は振り切り一途ウィーンです。
インスブルックはオリンピックで有名な都市です。
後々、山登りのため数日滞在もしましたし、列車の乗継等でもよく立ち寄ることになります。
でも観光目的の日記なので、もう2度と登場することがないかもしれません。だから簡単に。
名前は直訳するとイン川に架かる橋という意味でしょうか。
旧市街も赴きありますが、お勧めはイン川です。駅から西へ歩くと小さな川がイン川へ合流するところが現れます。川の交わったところから、色の違う水がそのままグリーンと青に分かれて流れて行きます。夏は日光浴にもいいですね。泊まるなら、隣の町のハルがいいでしょう。
さほど観光客も立ち寄りません。日中はインスブルックや山々を周遊し、夜はハルのガストホフで素朴なチロル州を堪能してほしいと思います。
翌日はサルツブルグです。国際的な音楽祭でも有名ですね。サウンドオブミュージックの舞台。ドレミの歌を歌っていたミラベルガルテン(庭園)は、色とりどりの花が。旧市街に入ると、モーツアルトのゲブルツハウス(生誕の家)です。ヨーロッパでも屈指の美しい街だと思います。
一気にウィーンへ行けばいいものを、ここに立ち寄ったのが運のつき。あらぬ方向へと進んでいくことになります。
ヨーロッパのユースホステル(YH)は、観光客の多い時期だけという所が多々ありました。当時、サルツブルグは3つのYHがあり、私が泊まったのが、そういうところでした。
受付で部屋番号だけ言われて入ってみると、2段ベットがずらりと並び、しかも男女同部屋。こんなのはここしか記憶にない。
夏になると、人も増え、ベットからはみ出て床でシュラフの蓑虫も多いとか。私のときも数人はみ出たようでした。
夜中、なんだか窮屈で起きてみると、女の子が添い寝しているじゃないですか。
どうしようもない痴漢の欲求にかられるのです。
触るべきか触らぬべきか?よし、寝返りうったふりして抱きついておこう!いやいや、もし気づいて騒がれたらえらいことになる。んー、そのときは暴れたおして逃げればいいし。でもなぁ、日本人紳士の名がすたる。なんて考えているうちに朝になるのです。
悠長に目を覚まし、「モーニング」なんて言われたときはしばきたかった。
そんな部屋なので朝食も出ません。
寝込みを襲ってきた彼女と一緒に朝ごはんを食べにいきました。フランスのニースに住んでいると言ってました。
「スイスを回って帰るから、一緒にニースへ行こう」と勝手なことをほざきます。
そんなことしたら、若い男の旅にはロマンが消える。ロマンスはいらん。第一、目的も変わる。私の名前がグラーツからニースやモンスになってしまうところでした。
駅に行き、列車の乗り方を教えてもらいました。実はよく分かっていなかったので助かりました。
スイスへ行くので必要ないと、2000円ほどのオーストリアシリングをくれて見送ってくれました。
いざ、ウィーンへ。胸が高鳴ります。
が、・・・・・
私の乗ったのはグラーツ行。
何してくれんのや、あの女!
それでも、ヨーロッパの旅、こんなにもフレンドリーな出会いが行く街、行く街で待っているのかと思うと、アホなフランス人には感謝せねばなりませんね。
なかなかウィーンへは行かしてくれません。