待ち合わせに遅れた友人と、上映時間を少し過ぎた頃に映画館に入った。
暗闇に目が慣れ、空いた座席に腰を落とす。
既に始まっていた映画のタイトルは『レイジングブル』。
スクリーンには初老の太った男が映し出されていた。洋画は字幕を読む余計な
脳活動のせいで、ストーリーや登場人物の名前、役柄、相関図等を大まかに
把握するまで、ちょっと時間を要するのが常だった。
映画はどんどん場面展開が進み、ボクシング会場の拳闘シーンに移っていた。
リング上には、精悍な顔立ちのデニーロ扮するミドル級のボクサーが手に汗握る
壮絶な殴り合いを演じている。不利な判定で試合に負けた腹いせで生活は
荒れまくる・・・。ネタバレは避けたいので、物語の詳細はこの辺で留めておくが、
映画が佳境に差し掛かった頃、回想シーンで冒頭に登場していた、あの肥満体の男がデニーロ本人と気付くまで、私の脳は騙されていた。
筋肉隆々のボクサーと、まさかの同一人物。「驚いた」の一言である。
映画を観終わってからも暫くは、快優・デニーロという稀有の俳優の役者魂に
すっかり魅入られていた。「世の中には凄い奴がいるもんだ」。
男が男に惚れるとは、こういう事なのかもしれない。
彼はこの役作りの為にわざわざ体重を27kℊ増やして撮影に臨んでいた。
この迫真の演技が認められ、デニーロは第53回アカデミー賞と、ゴールデン
グローブ賞・主演男優賞の栄誉をダブルで手にした。
彼は他の映画でも徹底した役作りの為に、髪の毛を抜いたり、虫歯でもないのに抜歯したり、セリフを流暢に話せるほどイタリア語をマスターしたり、
あの、レーガン大統領暗殺未遂事件の引き金になったと云われる名作映画、
『タクシードライバー』では、実際にニューヨークで3週間の間タクシードライバーとして働き役作りに活かした。この作品ではアカデミー助演男優賞に輝いている。
以来、個性派の俳優達がデニーロの様に拘りながら、役作りに励む一連の
行動を示す、「デ・ニーロ・アプローチ」と称される造語も生まれている。
超一流の人物が名を連ねるアメリカ芸術科学アカデミー会員でもある
デニーロも73歳になった。いぶし銀の様に光る演技は未だ健在である。
彼の生き様を見てしみじみと思う。「こんな風に齢を重ねたい」憧れの男だ。