『ボブ・ディラン!』スウェーデンアカデミー女性担当者の口から発表された今年の文学賞
受賞者の名前に「えっ!」と唸った。「ボブ・ディラン」って、あのボブ・・・。
ちょっと頭が混乱した。「うそ、マジ?」努めて冷静さを装ったのだが正直、戸惑った。
全く予想もしない展開に面食らってしまった。この唐突な発表をどう整理すればよいのか。
何故、彼が受賞したのか。件の女性が受賞理由を述べていたが、今イチ、ピンと来ない。
語弊があってはいけないが、決してボブ・ディランが嫌いな訳では無い。寧ろ好きな歌手
であり、崇拝とまでは言わずとも尊敬してやまない人物のひとりである。
確かに、長年に亘り彼の残してきた功績は偉大であるし、アメリカのみならず世界に
与えた影響力は計り知れないものがあるのは、万人が認めるところだろう。
エルビス・プレスリーやビートルズらの台頭で、世界の音楽界の潮目が変わっていた時代。
ベトナム戦争、東西冷戦に辟易していた世界の若者たちは、臆することなく権力に抗い
自然体で反体制ソングを歌い上げる彼に陶酔した。正に時代の寵児だったのだ。彼の登場は日本でも数多くのミュージシャン達に大いなる刺激を与えた。フォークソングという新たなジャンルも生まれ、自らの想いを言葉に乗せて、メッセージを発信するシンガーソングライターを
多く輩出、音楽業界の勢力図を大きく変えた。やはり、彼の存在無くしては語れないだろう。
が、然しである。スウェーデンアカデミーの本当の意図は、彼に受賞させることで暗に、現在
世界に蔓延する、ヘイト的な動きを封じ込めるかの様なメッセージを託しているのでは
ないか?と、うがった見方を拭えないのである。であれば、文学賞よりも平和賞ではないか。
是非はともかく、的を射ている部分は認めたい。だが余計なお世話だろうが、本来の文学者に対する文学賞授与の領域からは、少し逸れてしまったのではないかと危惧するのだ。
世界メディアが仰天する程、衝撃を与えたセレモニーの是非は今後も物議を醸すことだろう。
残念だが結果的に、村上春樹氏に吉報は届かなかった。でも彼自身もまた、同世代を歩んだボブ・ディランには一方ならぬ想いを寄せている筈だ。純粋に彼の受賞を喜んでいるに違いない。願わくば、受賞を逃した直後辺りで、「ボブ・ディラン氏の受賞を心より祝福する。」の粋なコメントを添えたなら、彼の株は更に上がったのではないかと思う次第である。