世捨て人を気取り、すっかり引き籠り人間に化してしまった友人の兄貴は、日がな一日TVを見て過ごしている。本人は俗世界と縁を断ちたいのか、携帯電話を手放してしまったので、訪ねる前に連絡が出来ない。なので、失礼を承知で突然訪問するしかない。
久しぶりに顔を合わせた弟の友人が発した「将棋は好きですか?」の問い掛けに食いついた。「オッ、○○は将棋が出来るのか?」逆に尋ねられた。「ハイ」と二つ返事で返す。「オォ~そうか、それなら俺に教えてくれないか、今丁度、将棋を勉強中なんだよ」。
彼は一時期、アル中治療を専門とする病院に入院していた。そこでは完全にアルコールを断つ生活を送るも、退院後は身近で容易に購入できる酒に手を出してしまい、再びアル中の虜になってしまったのである。病院で触れた聖書の中の救いの言葉も彼の心には響かなかった。アルコールの魔の手から逃れたい、心の弱い己に打ち勝ちアル中を克服したい、の一心で将棋に縋ったのであった。
聞くところによると、アルコール中毒の禁断症状になると、情緒不安定になり自分自身が制御不能に陥るので、なにか他に没頭できるのは無いかと思いあぐねたところ、以前から興味があった将棋を始めようと思いついたらしい。
今年の春先には将棋盤と駒を購入。TVの将棋講座を観ながら、ひとり黙々と将棋の世界に足を踏み入れたのだった。その矢先だった。将棋の対戦相手が目の前に現れたのは、単なる偶然ではなく必然だったのだろう。なんというタイミングだろうか。これも神の思し召しなのか。
当然、将棋初心者の彼とは実力差がある。最初のハンデとして私は「王将」以外の駒は、「歩」と「金」だけの八枚落ち布陣で対戦を始めた。にも拘らず初戦は私の完勝で終わった。
将棋は武道と同様、マナーとルールを順守しなければならないゲームである。相手があって成立するので、先ず、相手に対し敬意を払う。対戦前には「よろしくお願いします。」の挨拶で始まり、投了の際は「参りました。」「ありがとうございました。」で終わる。そして、お互いに指していて良かった点や悪かった点等、対戦の経過を振り返るのである。将棋はこの振り返りが、反省点に繋がり、上達への足掛かりになるとても重要な行為なので、決して疎かにしてはならない。
全国で将棋の愛好者は1200万人。将棋を始めるきっかけは人それぞれである。将棋はアル中のリハビリには最適だと思う。私自身も、「昔のヒーロー」だった彼の更生の役に立つのであれば、喜んで関わっていきたい。アル中に向き合う中で巡り合った将棋は、己の半生を投影する「罪滅ぼし」の要素も担っているのではないだろうか。今は月に一回程度の頻度で彼のワンルームを訪れ、盤面を挟み孤独なアウトローの話し相手になっている。(了)