カリブ海の小国、キューバ共和国の偉大な指導者が遂に逝った。
フィデル・カストロ前国家評議会議長。享年90。奇跡と云われたキューバ革命から半世紀余。一貫して反米路線を主張し続けたが、両国の関係正常化を目指すアメリカ・オバマ政権の軟化政策による歩み寄りもあって、54年振りとなる国交回復を果たした矢先の逝去。実弟ラウルに政権を託し、まさに愛する祖国キューバの行く末を見届けるようなタイミングである。
彼の偉大さは、常に「真の正義」を追い求めた事だろう。革命後は、敵国となったアメリカや、反共を唱える親米国家からの理不尽な制裁に喘ぎながらも、決してキューバ人としてのプライドを捨てなかった。貧しくとも医療、教育、福祉等は全ての国民に無償で提供。特に医療に関しては世界トップクラスである。
国民の目線に立って自らも倹約、国家の最高権力者らしからぬ質素な生活を送った。老若男女の国民から親しみを込めて「フィデル」の愛称で呼ばれていたのは、彼の偉ぶらない性格が如実に顕れている証だろう。
キューバ革命に於いて忘れてはならないもう一人の人物「チェ・ゲバラ」との出会いが、彼の存在を増々際立たせた。アルゼンチン生まれのゲバラとは、反植民地政策を標榜する同士として意気投合。差別と抑圧、略奪と搾取で民衆を苦しめる弱肉強食の欧米列強に、反旗を翻す共通の理念があった。
カストロもゲバラも己の欲の為ではなく、弱者救済に主眼を置いていたところが、未だに英雄として崇め敬われる要因である。革命を成し遂げた盟友のゲバラは、その後ボリビア革命に身を投じるも捕らわれて、銃殺による処刑で39歳の短い生涯を閉じた。今頃、あの世の何処かで再会を果たしハグを交わしていることだろう。
カストロは自宅に日本庭園を造るほどの親日家でもある。2003年の来日の際には、原爆ドームの慰霊碑に献花し黙祷。「人類の一人としてこの場所を訪れて慰霊する責務がある」とメッセージを残した。アメリカに対する強烈な皮肉でもある。
日本が優勝した2006年3月のWBCの決勝戦の前、カストロは「試合に“勝て”とは言っていない。“ベストを尽くせ”と言っている」と選手団を励まし、試合後は「金でも銀でもいいじゃないか。決勝に行けたことが素晴らしいんだ!」と彼らを労った。いかにも彼らしい人柄が偲ばれる「ヒューマニズム」溢れる言葉ではないか。
カストロとゲバラ。両雄並び立って、サルサをBGMに世界最高品質のキューバ産葉巻を燻らし、ラム酒で乾杯している姿が眼に浮かぶようだ。合掌。