筋ジストロフィー
私は病院勤めの傍ら「福祉施設」でアルバイトをしている。
アルバイトが公然と許される仕事は珍しいであろう。
「福祉施設」では「理学療法士又作業療法士」を週に何度か
施設に招きリハビリを行なうところが多い。
心の病が注目されるようになった関係からか
我々も施設でアルバイトをする事が増えてきた。
病院勤めでは毎週木曜日が研究日となり、半日
この施設に来て「多くの方と話をする」事になっている。
「よ!ブリちゃん!いらっしゃい。今日は暑いねぇ」
「相変わらず、べらんめぇ調ですね。」
「そっちはいつまでたっても、馬鹿ッ丁寧でカタックルしいねぇ~」
「良く言われるんですけどね。性格ですから・・・・」
電動車椅子で動き回り、私と粋な会話が展開できる彼の「疾病」は
「筋ジス」である。(疾病名を書くときに名前が書かれていないか、
何度も確認し緊張する:笑)
40を過ぎるまでまったく我々と変わらず普通の生活を送っていた。
ある日、平らな所で何度もつまづくようになり、
足が上がっていない事に気付く。
検査の結果、筋ジスと診断されると、
彼はその日、ビルの屋上にいったと言う。
「死のうと思ったんだけどさぁ、俺高いところが嫌いでね。
足がすくんじゃって、一分も立ってられないの。もう、
飛び込む気になれなくて、帰ってきちゃったんだよね。」
「そうですか。危うく、○さんのピアノを聞け無くなるところでしたね。」
「あれ,俺のヘタッピな、ピアノ楽しみにしてんの?」
「ハイ。楽しみというか、しみるんですよね。」
「あらぁ・・なんだか訳わかんないねぇ~ブリちゃんもてないでしょ。」
筋ジスは難病である。その原因も治療も今だ完全解明されていない。
その種類も非常に多く、緊張性ジストロフィーやらミオパチーやら限り無く
種類の多い疾病なのだ。
それを一まとめに筋ジスと呼んでいるが本当に簡単に約して言ってしま
うと、その進行は様々なれど、筋力が少しづつ低下して行く病気である。
彼は現在、電動車椅子で移動しているがいずれ寝たきりになり、
やがて、呼吸をする筋力が低下して行く、心臓の筋力かも知れない・・・
その進行を少しでも遅らせ現在の機能を維持する事が
リハビリの課題でもある。イヤ、遅らせる事ができるか否かは、
なんとも言えない。
しかし、それは主に理学療法の分野の事。
さしあたって私の出来る事は彼のピアノを聞くことぐらいだろう。
彼は自らの疾病の事を調べ上げ充分に理解している。
福祉現場で語られている「自分らしい生活」を目指す事と
リハビリ現場で掲げられる「人間らしい権利の回復」は
言いまわしは違っても恐らく、意味は同じであろう。
私が私らしくやって行けるのには、健康な身体があってこそである。
同じ境遇に立たされたならば、泣きに泣きまくり、
やはり、最初に自らの命を絶つことを考え、そののち
受け入れたと口では言いつつ、恐怖と絶望との戦いになるだろう。
今の私では到底打ち勝てるものでは無い。
「口で言うのはたやすですね。」
「心の先生がそんな事ではダメだなぁ~」
「若き日に身につけた技術を人に披露しようなんて
思えないでしょうね。」
「人間、明日何が起こるか判らないって事でしょ。だからこそ
今を大事に悔いの無いように過ごす事が大切なんじゃない」
「 言葉に説得力がありますね。 」
彼のピアノは何故か私の心に素直に入りこみ、目頭をあつくさせた。
ブリアレオス-ヘカトンケイレス